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整体とは何か
現在私が習う整体は、そもそも健康を命題としてあげ、病が治る治らないが問いとして求められてる。しかし整体は国家試験ではないし、患者自身の問題が大きく、また病状が進みすぎていた場合など、必ず治る/良くなるというモノではないから、治る/良くなると決して言ってはならないと教わる。
骨法、象形、形似
「昔、謝赫が伝ふ、画に六法あり、
一に気韻生動と日ひ、
二に骨法用筆と日ひ、
三に応物象形と日ひ、
四に隨類賦彩と日ひ、
五に経裳位置と日ひ、
六に伝模移写と日ふ、古より画人の能くこれ兼ねるはマルなり。」
「それ物を象るには必ず形似にあり、形似にありては須く其の骨気を全うすべし。
骨気と形似とは皆立意に本づき、而して用筆に帰す。
放に画を工にする者は、多くは書を善くす。」
「歴代名画記」張彦遠一画
骨法、象形、形似とはものの骨格を見抜くことをいい
隨類賦彩とは説明を加えて具体性に近づけること。
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これらをダンスに生かすべき
というのも日本の古典は抽象的な記号のく見合わせから始まり
そこから写実的表現に向かう点でダンスの成り立ちに似ている
歩き出す右足
美術とは何かと考えた時
それは美学的術をさす
つまり、「雑踏の中で偶然私のために彼女が振り替えいる」状況である。
簡単にいえば、偶然を装って主体のためにプレゼンテーションの術である。
芸術とはな何か
芸の術であるから、手の術、クラフトワークである。
これらを括る方法は「か」「かた」「かたち」となる
つまり、「か」方向性「かた」方法「かたち」様式、である。
これらは古典と呼ばれるものへの流れで、
私たちがダンスと読んでいる部分は、この中には含まれてはいない。
これらの方法から導き出されたヒダの様な、
一瞬にして、過去に消えていく、はかない行為全般をダンスと呼ぶ
クラッカズは、過去に向かって走る亀裂様なものだ。
記憶には残らないが、記憶に影響させなければならない。
それは、今日までなんの疑いも無く生活している行動に、
ヒビを入れ、歩き出す右足を左足に帰る仕事である。
混沌を観る
混沌はその無秩序のあまり、目の前にしても、それが実在したのかすらわからない。
なぜなら、それを理解する言葉を持っていないからだ。
しかし見逃さないように、注意深く観ているうちに、
目のやり場ができて、しだいに観るルートができてくる。
すると、ルートの端々に空間がみえてくる。
さらに観察を進めると、誰もが共通にか感じられる記号が生まれる。
言葉と言うモニュメントの登場である。
通り道でしかなかったものが構造になる。
手段自体が目的になり、存在の差の中に他者をみる。