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2009スティーヴ・パクストン横浜でのワークショップの感想

日本思想に精通する海外の芸術家は多く、コンタクト・インプロビゼーション(CI)の創始者であるスティーヴ・パクストンも例外ではありません。パクストンは40年前に東京で合気道を学び、今回の日本ツアーで行われたマテリアス・フォー・ザ・スパイン(MFS)にも合気道の気の概念を応用した思想がベースとなっているいます。
しかし、驚くべきことにパクストンは合気道の思想を文献といった言葉で直接学んだことはなく、合気道の一連の訓練を現在も続け、そのような思想(*)に至ったと述べています。
ワークショップのディスカッションの中で「合気道の思想を文献といったものを参照しないで、相手を受け入れる事から始めるといった日本武術に精通する思想をどのように知ったのか?」という質問に対し。「愛は体の何処にあるのか?(Where is love in the body?)」と逆に問いただした。その時、会場は一瞬息を飲みましたが、ディスカッションはゆっくりと続き、パクストンはマイク・タイソン(1966-)の人生をえがいた映画「Tyson」が引き合いに出されました。パウンド・フォー・パウンド最強のボクサーとして歴史に名を残すタイソンの強さの理由を、映画の中で幼児時代の他者への恐怖心として描かれており、他人を恐れる心が相手を傷つけるという問題を提示されました。
質問の答えは性格に述べられてはいないものの、合気道の一連の動きの中から意味を導き出し、コミュニケーションの本質的な問題点として提示し、現在も取り組んでいるおられる様は、私達は只圧倒されるばかりでした。
私に取って「他者に対する恐怖」と「愛」それとワークの鍵として繰り返し話される「プロジェクション」という言葉は、今回のパクストン日本ツアーの中で課題でありテーマとして受け止めました。ここまで課題意識を持って芸術に取り組んでいる芸術家が現在日本にはいるのでしょうか?
50-70年代のアメリカを中心とした前衛芸術運動の流れは、日本国内にも影響していたものの、その運動の後半に位置するジャドソン教会派はほとんど紹介されないまま、現在に至ってしまった歴史があります。美術館、劇場やコンサートホールを否定した前衛芸術運動はアメリカから海を渡った際、再びそれぞれの各々の様式に回収されてしまい、まるでゴミ箱の様にコンテンポラリーダンスという名前でくくられてしまっているのが現状です。現在日本にパクストンを招聘する意義は、失われた歴史を取り戻すことで、現在の芸術を再批評することであると確信します。

*日本では乱世が終わり平安に向かう江戸時代に、柳生宗矩(1571-1646)「兵法家伝書」の中で剣術の思想として「活人剣」という概念を提唱されています。これは自我を押し通す「殺人剣」と比較し、相手や場を受け入れる概念として提示されました。
また、近代では、合気道家、塩田剛三(1915-1994)は晩年に「もう合気道が実戦で使われる必要は無い、私が最後で良いんだ。これからは和合の道として世の中の役にたてば良い」と述べています。パクストンが塩田に直接合ってはいない様ですが、合気道を勉強することで、ダンスからアートスポーツと変成していくCIは、これらの思想を踏まえれば、創造も可能に思います。

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