モーリー・ロバートソンさんの訃報を聞き、真っ先に思い出したのは、中学校時代にかけて熱狂したJ-WAVEの深夜番組のことでした。1991年から1996年、多感な時期の4年間、私はモーリーがナビゲーターを務めた『ACROSS THE VIEW』をほぼ毎日、食い入るように聴いていました。
一般的には知的なコメンテーターとし認知されているようですが、彼のピークは私が聞いていたラジオ番組のころではないでしょうか?たしか1996年あたりから衛星放送の情報番組のコメントを始めるようになって、ラジオでも愚痴っぽくなり、大掛かりなイベントがなくなっていったように思います。
Contents
あの頃の放送が、自己形成の栄養剤
1. 脳を揺さぶる「機関銃トーク」と60年代の残響
当時のモーリーの番組は、今のラジオの常識からは考えられないほど過激で、知的で、何より「変」でした。
彼の最大の特徴は、驚異的なトークスピードです。社会への毒舌(リベラルより)、芸術、哲学、科学用語を、文字通り機関銃のように繰り出す。一応モーリーはミュージシャンなので、話題はエレクトロニカが中心でそれに政治、修行僧、LSD、幻覚性キノコといった話題で。内容は60年代のカウンターカルチャーおよびヒッピーのトレンドを追いかけるものでした。その当事者に直接電話インタビューを繰り広げます。その一方でリスナー参加型の曜日企画あり、深夜1時から3時の二時間を電波をジャックしていたのです。
現在はyoutubeを中心に情報過多ですが中学生当時はインターネットはアマチュア無線的な存在で、一部の高額なコンピューターを持っている人がプッシュ回線をつかって、レンガとよばれるチャットを行っている時代です。高校生ぐらいでやっとポケベルです。情報収集はもっぱら紙で、情報誌のぴあの末頁にちっちゃい字ので書かれているっ情報や、ガロの情報ページでアングライベント情報を集めていました。ですから、このACROSS THE VIEWは毎晩配信されているのでアングラやアバンギャルドを追いかけている人には聖地でした。
当時は平日は20:00には寝て、13:00に起きACROSS THE VIEWを聞いてました。多くの人は受験勉強と偽って起きていたようです。
2. リスナーを「表現者」に変えた、狂気的な番組企画
ただ聴くだけでなく、リスナーを表現の渦に巻き込む企画が毎日用意されていました。
「路上の狼」は何曜日の企画課忘れましたが、東京の町中に前日に収録場所が発表さえれ、その場所にいって即興で詩を創作しそれをラジオスタッフが録音するも。「土中のピータン」というFAXによる詩の投稿コーナー。
「シンセで勝負しろ」:は勝ち抜きのエレクトロニカバトルで、予選は留守番電話サービスダイヤルQ2に30秒録音を投稿するもので、準決勝、決勝と勝ち進むものです。準決勝からは右スピーカー左スピーカーに分かれてバトルし、ゲスト審査員がジャッジするというもので、バトル中にラジオに入ってしまった人は放送事故か自分のラジオが壊れたのかともうでしょう。
当時は寮生だったので、昼間のうちに10円玉をたくさん用意して、よなよな公衆電話の前で演奏し投稿していました。一応準決勝もでは上がり、六本木のJ-WAVEスタジオまで行き収録したのを覚えています。
3. 池袋という拠点、そして「精神の集い」
当時の私の拠点は池袋でした。あの頃の池袋は、セゾン文化が最も力を持っていた時代です。西武線が街を牽引し、巨大レコード店WAVEやセゾン美術館があり、その地下には充実した洋書売り場が広がっていました。まんがの森池袋店、アニメ専門映画館ティアトル池袋、名画座のACT SEIGEI THEATER、文芸座がありあました。
余談ですが、当時渋谷には、現在のタワーレコードのあたりにパリ北京レコードというアングラバンドのカセットテープ店があり、ACROSS THE VIEWのリスナーはこの店にもかよっていました。ACROSS THE VIEWのリスナーはこの店にもかよっていました。
池袋のライブハウスでモーリー「精神の集い」という、かなり尖ったイベントが開催されていました。モーリーはいつも「突然段ボール」共演していました。会場でもラジオの公開録音も行われましたが、最後は揉みくちゃの乱闘でした。
4. 自由の森学園にモーリーがやってきた日
高校2年の時、友人のOMが番組に企画を依頼したことがきっかけで、なんとモーリーが自由の森学園にやってきました。多目的ホールで開催され、数百人規模の「路上の狼 」が実現、その晩は放送もされました。
5. 「卒業」から30年を経て
大学進学で東北へ移った私は、電波の関係で物理的に番組を聴くことができなくなり、同時に「ACROSS THE VIEW」からも卒業することになりました。
東京に戻ってから、クラブイベントのバーカウンターでモーリーを見かけ、何度か挨拶を交わす機会もありましたが、連絡を取ることはありませんでした。
それから30年近い時が経ちましたが、あの深夜に浴びた言葉と音、そして池袋や渋谷で体感した狂気的な熱量は、確実に今の自分の活動に影響を与え続けています。
モーリー、刺激に満ちた最高の時間をありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。