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砂糖産業と日本の経済

日本のGDPの1人当たりの生産の低下から見える生産性の問題や、自民党の裏金事件が背景にある問題。これらの問題は、あまり語られていませんが、パーティーに参加していた人々の動機を考えると、その根底には既得権益をお金で保持しようとする非生産的な企業の問題が隠れています。これらの問題と直接的では無いとはいえ、間接的に関連している1つの事例について書きたいと思います。

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現代社会における触れ合いの喪失と「押しくらまんじゅう」の新たな可能性

毎日、ペンキを塗っているので、このような単純な作業中に耳で聞く読書が進みます。今週はたくさん読みました。人に話したい本はたくさんありましたが、簡単に話せるものを今日は紹介します。

「多田道太郎著作集4_日本人の美意識」遊びと日本人. ii文明. 小さな者の声、その中で「押しくらまんじゅう」について考察されています。

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身体の教えに素直にみる:実演、批評、鑑賞の屈折

ドラマトゥルクミーティングの2日目に参加してきました。

ドラマトゥルク・ミーティング「ドラマトゥルクがいると何が生まれるか?実践的思考と創造プロセスの生成

一日のうちに6本のセッションがあり、様々な角度からドラマトゥルクの可能性について議論されるものでしたが、最後の中島先生のプレゼンテーションの中で重要な疑問点を見つけ、直接ドラマトゥルクとは関係ないものですが、その疑問を書き留めます。

-これを書き留めてから、岩淵さんの助言から少し考えを改め、批判的な態度を文面の後半で修正しました。

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京都北区に倉庫を改装記2: アーティストのためのスペースに!

倉庫・アトリエ改築記。進行状況の報告です。

建屋の裏にたまった土砂は、湿気の問題が深刻です。もし民家として住むつもりなら、頻繁に戸を開閉するので、建物の裏庭から水が湧き出していても大した問題ではないかもしれませんが、倉庫として使用する場合は密閉期間が長いことから、倉庫内の荷物に湿気が影響を与えかねません。

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京都北区に倉庫を購入!アーティストのためのスペースに!1

京都に引っ越すにあたり、自分の荷物を保管する必要が生じました。レンタル倉庫を検討しましたが、意外にも高額だったのため、そこで、倉庫の購入し貸し出せば、買値の元が取れる可能性があることから、購入を検討しました。

たびたび倉庫の改築を報告したいと思います。

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Kepler(2000)構造解説

2000年に大学の卒業制作として制作した『Kepler』についての解説をします。この作品は、農業用パイプで試作された五方十二面体の中に、アルミパイプ製でフレキシブルジョイント(羽根で自作)の六面体が内蔵されています。これは、ダンスの動きをサポートするアイデアから生まれたもので、六面体を形成する6本のパイプを自由に動かすことができます。まるで中国武術の三節棍のような動きをします。『Kepler』は舞台装置、エクササイズ器、そして公園遊具として創作されました。

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石若駿: 未知のエゴ: AIがもたらす演奏革命

2022年に上演された「Echoes for unknown egos―発現しあう響きたち」の際に考えたそのパフォーマンスの意義について当時のノートを公開します。このプロジェクトは、ジャンルを超えた幅広い活動で注目を集めるパーカッショニスト、石若駿とYCAMが共同開発したコンサートです。

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見るをアップデートする :

このワークショップは、見る能力、つまり視力を拡張することを目的としています。ただし、ここで言う視力とは、一般的な視力検査で測定されるものではなく、見るという行為自体をアップデートすることです。

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多田道太郎『しぐさの日本文化』を読む

最近読んだ本、多田道太郎『しぐさの日本文化』(1972年)が非常に素晴らしかった。恥ずかしながら多田道太郎は初めて読みました。ジェスチャーに関する研究者といえば、デズモンド・モリスは定番で、日本ではコレクティブな観点から野村雅一氏がいらっしゃいます。この本では人間学として掘り下げた内容であり、モリスもリストは異なる視点で書かれていました。なにより文章が美しい。現代の研究者ではこのゆな優れた文章では書けないように思います。

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感覚のツール化つづき: 新しい身体感覚の探求

毎週行うコンテンポラリーダンスのセッションは今週は自分の晩でした。長いものでYCAMの楽屋で「ダンス部」として毎週月曜日の夜にエクササイズを始めてから20年近くたっており、山口初のコンテンポラリーダンスクラスも自分の会は最後でした。

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洋書を翻訳して読む

大脇さんは、漢字が読めなくても、黙読ができなくても、独自の方法で読書をしています。それはすべての書籍をスキャンしてOCR処理し、読み上げ機能で内容を聞くことで、運転中や移動中、就寝前などのシーンで読書をします。

さらに、外国の書籍についても、紙の書籍なら、すぐに諦めているところですが、普段のOCR処理の行程に自動翻訳を行うことで日本語で読むことが可能です。

自動翻訳技術は近年大幅に進歩していますが、やはり自然な日本語で書かれた本と比べると少し読みづらい面もあります。また、複数の自動翻訳サービスが存在し、それぞれ翻訳の精度が異なるため、最適なサービスを選ぶことが重要です。

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線形視点と非線形視点

私たちは、前回の視覚の問題についてもう少し深く掘り下げてみたいと思います。
前方の風景(aの視覚)とテーブル上の視点(bの視覚)がどのように認識されるかを考えてみましょう。

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公衆触覚伝話における映像技術 : 共在感覚を作るフレーム感解消の技術

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映画館の巨大なスクリーンは、その誕生以来、視聴覚技術として発展し続けてきました。映画の発明から現在に至るまで、よりリアルな体験を提供するため、フレームを超えたさまざまな技術が提案されています。「フレーム感」というのは、メディアアートや写真の分野で用いられる専門用語であり、観る者と作品の間に存在するフレームの存在感を指します。このフレーム感を解消することは、観る者に「こっち」と「あっち」の区別を曖昧にし、より没入感を高めるための試みです。

このフレーム感の解消は、単にVR技術への移行以上のものを意味します。フレーム感が軽減されることで、観客は物理的なスクリーンがあるにも関わらず、映画の世界と同じ空間にいるような感覚を得られるようになります。つまり、より没入感を得るためには、フレームを超えた体験が必要なのです。これは、小さな映像や音声でも、フレーム感が薄れれば薄れるほど、観る者は映画の世界にいるかのような感覚を持てるということです。実際に「こっち」と「あっち」繋がってるような体験を実現することが、この技術進化の目指すところなのです。

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メディアとしてのダンサー:「とつとつダンス」が切り開く未来がパフォーマンス

砂連尾理さんによるとつとつダンス2023年度活動報告展示会|”Totsu-Totsu Dance” Project Presentation in 2023を見てきました。

今回は砂連尾理、神村恵らによるワーク・イン・プログレスとしてのパフォーマンス作品を発表し。関係者やゲストを招いたトーク・セッションです。後日当時のドキュメントをオンライン配信を予定しているようです。

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クレーン講習から考えさせられた日本の技術教育の遅れ

週末3日間、小型移動式クレーンの資格取得のために講習を受けました。参加者は7人で、ほとんど若者です。居眠りをしていたひとも何人かしましたが、それにも関わらず、私以外はペーパーテストで満点を取っていました。私は先生の配慮もあって、ギリギリ合格です。

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フィリップ・オースランダー”Liveness”を(機械翻訳だけど)読む

舞踊学会で、東京都立大学の越智雄磨さんによる「複製技術とリアリティ」の中で文献フィリップ・オースランダー「Liveness」が引用されていた。この書籍は現在第3版で、COVID-19後に大がかりに改変されており、配信舞台芸術を論じる上で、必読書のようだったので、取り急ぎ購入して読んでいる。自分の読み方として、そもそも英語が読めないので、googleドキュメントの「ドキュメントの翻訳機能」とChatGPT、BARDのAI翻訳をフルに活用して読んでいます。抽出された要約をまとめました。

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地方の芸術創造:差異とフィードバックの重要性

地方で美術館や劇場では芸術の創作を行うという事はどのようなことでしょうか?

「芸術は都市からやってくる」の誤解

一般的には新しい文化は都市からやってくると考えられがちですが、これは全く間違いでしょう。都市は人口と情報が集中する故にモノがあふれ、それらの消費速度も加速しています。都市には確かに新しいモノは多いのですが、消費される事に価値を見出すポップアートやファインアートのような刺激が強調された表現が多く、芸術の真理に達していない作品が多いと思われます。地方での創作は都市とは異なる経済状況から、芸術家が一定の期間作品制作に専念でき、作品に向き合う時間が多く持てる事で、新しい表現に到達する可能性があるのではないでしょうか。

地方地域の側からすると、そのような新しい文化活動に関わる機会を通じ知性を養う活動を一つの価値として見出す必要があり、これも「新しい文化は都市からやってくるのではない」という前提の上に、創作を受け入れ、支え、見守る事自体が文化活動の一環である認識が必要です。

これらを前提に、地方の文化財団および劇場が舞台芸術の創作を考えると、いくつもの可能方法が考えられます。この論議は、地方芸術関係者で多くの方々が議論していると思いますので、ここでは芸術家は何処から来るのかという論点から考えたいと思います。

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第六感の探求:ダンサー安藤洋子が示すテレパシーの可能性

生き物にはテレパシーというものがあります。これは、ビデオやモーションキャプチャーなどの科学的な方法では計測できない、非科学的な範囲でのやり取りです。しかし、舞台で作業をしていると、ダンサー同士では、信じられないような以心伝心にも似た体験をすることがあります。それら身体表現におけるテレパシーについてまとめました。

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2022年メタバースパフォーマンス最先端レポート : YCAM InterLab Camp vol.4:遠隔・身体・共創 DAY2 トーク+ショートパフォーマンス

シエ・ジル・ジョバンは、スイスのジュネーブを拠点に活動するダンサー兼振付家です。2008年には山口情報芸術センター[YCAM]で”Text to Speech”という作品を上映しました。今回は、「YCAM InterLab Camp vol.4:遠隔・身体・共創(2022年12月)」に登壇し、そのもようを文字お越ししたものです。

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大脇: ジルさんはメディアアートとステージパフォーマンスを融合させた作品を数多く発表し、今回の登壇ではテレプレゼンスをテーマにした作品を披露し、その現場の声に直接触れることを提案しています。彼のカンパニーは最近、積極的にパフォーマンスを配信しており、ジュネーブを拠点に世界中に向けてパフォーマンスを展開しています。

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坂本龍一YCAMインタビュー

一瞬大脇が映っていいるのを発見!このドキュメントでも紹介されているSachikoMとのコンサートの映像演出やってました。

劇場空間を解き明かす:ポストパンデミックのパフォーマンス空間でのインタラクティビティを再定義する

コロナパンデミック以降、すべてのイベントがオンライン化されましたが、パンデミックが収まると音楽ライブや劇場イベントはオンラインイベントを急に縮小しました。これは、配信動画サービスはあくまでもその場しのぎのもので、劇場表現は映像や音声には記録できない情報があると考えられているからです。しかし、映像の方が舞台上の俳優や役者の表情や動きを間近で観ることができる利点がありますが、劇場主義の多くはこの点にあまりふれないように思われます。シンポジウム、音楽ライブ、劇場でのダンス・演劇公演、スポーツこれらは、異なる視点、指向性があり、ジャンルごとの指向性を踏まえたうえで、同一空間を共有する意味について検討したいと思います。

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舞踊とダンス違い

舞踊学会で、「ダンスの定義」について議論がありました。現在、舞踊とダンスはほぼ同じ意味とされていますが、学会内で厳密な定義があるはずです。学会員に聞く前に私なりに考えてみます。

「舞踊」という言葉は、「舞」と「踊」の文字から成り立っています。「舞」は音楽と一緒に踊ることを指し、「踊」は基本的に跳躍する動きです。一方、「ダンス」の語源は古ラテン語の「deante」で、「跳ぶ」「はねる」という意味の動詞です。つまり、「踊」とほぼ同一の意味と言っていいでしょう。

「ダンス/踊り」は踊りは内発的な動機によって飛び上がる動きを指しているのに対して、「舞」外的な動機の動きを表しているといってもいいでしょう。舞踊という言葉には内発的な動きと外的な動きの両方が組み合わさっている点で不思議な言葉になっています。

また、「身体知」とざっくり行った際は、武術・武道や、スポーツも含まれてくるのですが、「武」は一歩前に進むという意味、「術」目的を果たすための方法なので道具の話ですし、武道とスポーツは「道・ルール」なので、プラットーフォーム論ということになり、「武」進み出ることなので内発的な動き、「術」や「道・ルール」というのはプラットーフォームの話なので、「舞」とは外にあるものかもしれませんが、どちらかというとすでにあるものという感じがします。舞は基本的には音楽があってそれに合わせるという意味なので、外から来るものという意味の違いがあるように思います。

舞踊学会大会参加記:三浦雅士先生の公演に見る、舞踊と形而上学

舞踊学会大会にほぼ始めて参加してきました。厳密には2ゲストスピーカーとして日帰りで参加したことがあり、その際はインフルエンザ明けで体調を崩していたため、日帰りで登壇枠だけの参加でした。それ以後は1最近は12月はいつも忙しく、参加できなかったのですが、今年は気持ちに変化があり、再度参加することにしました。

この学会は、舞踊(ダンス)の幅広いジャンルが議論される場で、盆踊りからメルロ=ポンティーまで範囲が広い議論されます。今回は、この学術体系の代表格でもある、三浦雅士先生の公演がありました。「パンデミックと舞踊の形而上学」とだいされたこの公演は突っ込みどころ満載でしたが、一貫して「これからは舞踊学の時代が来る!」という呪文のように熱く唱えており、個人的にはこのような考えの先陣がいてくれることにとても安堵感がありました。

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身体言語の新時代:インターアクトメントが切り拓くコミュニケーション革命

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インターアクトメント(”InterActment”)は、”interaction”(相互作用、交流)と”actment”(行為)の組み合わせ造語です。ダンスのように、ジャンルやメソッドに縛られない、また手話のように、言語化することに完全に依存しないその場で自然に生まれる身振りや動作を使ってコミュニケーションを促進するようなムーブメントをさします。

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イメージと感覚をつなぐ脳のチャンネルの開発方法 : インプロビゼーションテクノロジーズの解説

ウィリアム・フォーサイスのベースになっているテクニックはインプロビゼーションテクノロジーズ(以下、IT)と呼ばれるフランクフルトバレエ時代開発されたテクニックがベースになっており、これは、フォーサイスがザ・フォーサイスカンパニーに移行した後も根幹にある概念です。ITはバレエの構造を解体し、それを拡張することでバレエのテクニックを深化させています。フォーサイス自身も指摘しているように、このプログラムはダンサーが事前に学ぶためのものであり、基礎を習得するための教材として機能しています。また、桜井圭介先生も『ダンシング・オールナイト』で触れており、ITは他のジャンルのダンサーにとっても有用で、ダンスを拡張するツールとして紹介されています。

しかしながら、この教材は単に模倣するだけでは意味をなさないのではないか、と私は考えています。自身が、(元)ザ・フォーサイスカンパニーのダンサーたちからエクササイズを学んできた経験から、具体的に「イメージと身体運動、感覚をつなぐ脳のチャンネル」をどのように発展させるか、その方法が詳細に紹介されていないと感じました。つまり、この教材を無批判に使用すると、見た目はフォーサイス風になるかもしれませんが、内側では何も得られないかもしれないという懸念があります。この問題に取り組むため、私は自らの体験に基づき、感覚的にイメージと身体を結びつける方法について解決策を模索し、それを紹介したいと考えています。

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ボディーランゲージの暗号:コミュニケーションの圧縮と解凍

前回は表現者の動きの圧縮にフォーマスして考察しました。その圧縮は多様なレベルで行われており、所作がパズルのようにつながって一つの運動を作り出しているもの。無意識に体の反応が所作に表れているもの。感情などの質が所作に折りたたまれているもの。といった内容でした。今回は、この圧縮された動きを見た人がその内容をどのように読み取るか、つまり、動きの解凍についての考察です。

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動きの圧縮が与える影響 : ダンスが下手な人の特徴とは?

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この記事はダンスにおける「動きの圧縮」を探求し、「動きの圧縮」のアイデアがどのように発展してきたか、そしてダンス表現におけるその影響について解説します。プロのダンサーと下手なダンサーの動きの比較や、独自のパフォーマンスでの「動きの圧縮」の利用、そしてコミュニケーションにおける動きのニュアンスの重要性に触れながら、ダンス表現の多様性や可能性を探求します。

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毎日15分後ろ歩きトレーニングの効果

毎日のウォーキングをトレーニングに取り入れている人は多いですが、歩くことはただ前に進むためだけではありません。 習慣的な前方への動きは、前方への歩行中に通常使用されていない筋肉の弛緩につなっています。人間はすべての方向に自由があるはずです。もっと様々な方向に歩いけると日常的なパフォーマンスの良くなる以上に「前向き思考」から「自由な思考」に意識がアップデートされるかもしれません。

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声から動きへ3

前回は、野口三千三の「原初音韻論遊び」として、声帯を振動させて出す音”a, e, i, o, u”について説明し、”h”と”n”について考察し、”n”の重要性について言及しました。今回は、”a, e, i, o, u”などの一般的な発音に必要な口腔の形を考えたうえで、言葉とそのニュアンスが共通感覚(コモンセンス)として立ち上がっていくかについて考察します。

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声から動きへ2

発音が体の動きにどのように影響しているのでしょうか?野口体操のアイデアから始め、基本的な発音の”h”と”n”の発音(無音)に焦点を当て、それをする際の身体を検証します。その中で邦楽に置ける歌の発音における”n”の音に注目し、発声がパフォーマンスに影響を与えている可能性が考察されています。

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【琵琶少年】15歳の衝撃、20年の封印、そして新境地へ

15歳で薩摩琵琶を始め、高校時代は映画のようなスペクタクルな琵琶の語りに惹かれ、ノイズ音楽の大会にも出場。社会人になると演奏の機会がなくなり、20年間封印されていたが、2023年に台湾のアートプロジェクトに参加したことをきっかけに、琵琶とダンスを融合した新たなパフォーマンスに挑戦している。

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なぜダンスは音楽の下請けなのか?

このテキストでは、ダンスに先立つ伝統的な音楽の流れを探求し、その規範性に疑問を投げかけています。 それは音楽主導のダンスの課題を反映し、「恥ずかしさ」という阻害要因に触れ、言葉と動きの革新的な融合を示唆しています。 この物語は、自由な身体表現の一形態としてのダンスについて、より幅広く、より包括的な視点を提唱しています。

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骨法、象形、形似

「昔、謝赫が伝ふ、画に六法あり、
一に気韻生動と日ひ、
二に骨法用筆と日ひ、
三に応物象形と日ひ、
四に隨類賦彩と日ひ、
五に経裳位置と日ひ、
六に伝模移写と日ふ、古より画人の能くこれ兼ねるはマルなり。」
「それ物を象るには必ず形似にあり、形似にありては須く其の骨気を全うすべし。
骨気と形似とは皆立意に本づき、而して用筆に帰す。
放に画を工にする者は、多くは書を善くす。」
「歴代名画記」張彦遠一画
骨法、象形、形似とはものの骨格を見抜くことをいい
隨類賦彩とは説明を加えて具体性に近づけること。

これらをダンスに生かすべき
というのも日本の古典は抽象的な記号のく見合わせから始まり
そこから写実的表現に向かう点でダンスの成り立ちに似ている

混沌を観る

混沌はその無秩序のあまり、目の前にしても、それが実在したのかすらわからない。
なぜなら、それを理解する言葉を持っていないからだ。
しかし見逃さないように、注意深く観ているうちに、
目のやり場ができて、しだいに観るルートができてくる。
すると、ルートの端々に空間がみえてくる。
さらに観察を進めると、誰もが共通にか感じられる記号が生まれる。
言葉と言うモニュメントの登場である。
通り道でしかなかったものが構造になる。
手段自体が目的になり、存在の差の中に他者をみる。