ノードと生

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

20世紀初頭におけるアニメーションの隆盛は、動きの線や動きの研究をさらに推し進め、エンジニアたちが動きの中に生命を感じ取るという独特の感性を考察しました。それは動きに生命を宿す試みで、かれらは生きている動きを本質を捉えようとする探求でもありました。一方で20世紀、人工知能研究と並行して人工生命という学際的分野が発展し、ソフトウェアからロボット工学に至るまで、生命的振る舞いの研究が進展しました。これらの研究は、アニメーションといった従来の美学とは異なる観点から「生」の証明を試みるものでありました。

 そこで、ラテン語のアニメート「命のないものに生命を吹き込む」を基にアニメーションから人工生命研究までを広く考察範囲に含めることができると考え、以下に述べていきます。

 本論文では、動きの中に「生」の本質を追求するのではなく、生を読み解く手法を検証し「動点=ノード」という概念を用いて「生」についての考察を展開します。特に注目したのは、自然現象の定量的計測がもたらした抽象性と、そこに含まれる「生のデータ」です。これらは、ダンスを一種の計算手段として捉える新たな視座を提供するでしょう。

Screenshot 20240908 1016322 1
手塚治虫「フィルムは生きている」(1959)アニメーターの主人公がオリジナルアニメーション映画を創作ために苦闘する。仔馬が題材なのは手塚がディズニーのバンビに魅了されていたため。

具体的な事例として、エティエンヌ=ジュール・マレーによる写真を用いた運動研究、ジャドソンチャーチグループによるアルゴリズムとしてのダンス、そしてウィリアム・フォーサイスの「Synchronous Objects for One Flat Thing, reproduced」プロジェクトを取り上げ、それぞれの時代における新たな表現の可能性について検証を行う。

ノードとは何か

モーションキャプチャー技術において、身体の関節の点を「ノード(node)」と呼びます。ノードとは、「結び目」や「集合点」、「節」を意味し、一般的にはネットワーク用語として知られています。コンピュータネットワークでは、ノードは装置を示す点として表され、それを結ぶ伝送路が線として描かれます。同様に、モーションキャプチャーにおけるノードも、身体の各部位が互いに関係しながら動作する動点として機能し、動き全体の集合を形成します。

ノードは3次元のベクトル情報を持ち、回転軸を有し、空間との相対関係を持っています。これらのノードは人体を表現するのに使用され、全身の関節を表す点群として機能します。その応用範囲は広く、蛇のような多関節の動物を表現することも可能で、時には蠅のような単体の生物を表現することもあります。

モーションキャプチャーシステムに置けるノード

モーションキャプチャーシステムで測定する際の問題としてたとえば、動物の動きを分析する際、筋肉の収縮を直接測定することは非常に困難です。通常は表皮の動きをカメラで追跡しますが、筋肉の深層で起こる複雑な動きは捉えきれません。そのため、得られるのは運動の結果に過ぎず、動作そのものを完全に把握することは難しいのです。これを解決するために、動作は抽象化され、単純化されたモデルとして扱われます。

よく誤解されるのは、ノードが光学式モーションキャプチャーにおける再帰性反射マーカーだと思っている人がいますが、これは正確ではありません。再帰性反射マーカーは、あくまで表皮の移動を捉えるためのものであり、ノードではありません。カメラは複数の光学式マーカーを追跡し、その座標位置を計算します。そして、そのマーカーに囲まれた範囲に基づいて、表皮、筋肉の深層の骨格が再計算され、その動きがノードとして扱われます。

このように、モーションセンサーによる座標計算によって、外から見えない体内の動きもシミュレーションが可能になります。しかし、このノードは必ずしも正確な人間の骨の動きを指しているわけではありません。モーションキャプチャー技術は医療、映画、ゲームなど、さまざまな分野で異なる目的に応じて発展してきました。医療分野では高解像度のデータが求められますが、ゲームでは処理パフォーマンスが優先され、両者のノード数も配置も全く異なりますます。いずれの場合も、ノードは物理的な次元から切り離された仮想的な参照点として、コンピュータによって再解釈されます。これは、自然現象を元々の文脈から切り離し、抽象化する一種のプロセスといえます。

ノードにみる生命観

ノードに生命感を感じるということは、点群もしくは単体のノードが、低速移動やボールのバウンド、抵抗による速度の終息といった物理現象、そしてそれら以外の影響を感じ取ることを意味します。これらの動きや変化を通じて、ノードは生命らしさを表現するのです。

抽象化とは、「本来、孤立して存在することができないものを、孤立させて考えること」です。言語も、具象的な事象から切り離して抽象化することで成り立っています。抽象化は人間が得意とする行為であり、芸術作品にもその例が見られます。たとえば、中国の山水画における「気韻生動」や「骨法用筆」は、気の流れを読み取り、骨格を描写することで抽象化を実現しています。

芸術論では概念としての「線」について考察が多く見受けられます。厳密には絵画において、線は動点の軌跡であり、点の集合でもあります。線は過去の時間の軌跡を示し、その長さが増すにつれて、より多くの過去を巻き取っていきます。線が過去に向かうことで意味を含むようになり、線に関する美学論が無数に存在するのはここに由来します。

ノードの理論は、数学やシミュレーションにおいて議論されており、ノードを芸術の観点から捉える場合、その焦点は「動きの質」にあります。

運動の研究からモーションキャプチャーへ

18世紀末、大きなパラダイムシフトをもたらしました写真技術は、銀の粒子を紙に定着させるという物理現象により、瞬間の光を像として定着し、それぞれの像を比較することが可能となりました。この技術により、出来事を抽象化し、定量的に測定することができるようになり、情報は時間や空間から切り離され、データとして変換・比較が可能となったのです。結論として、ノードは物理現象を抽象化し、デジタル空間で再解釈される仮想的な参照点として、モーションキャプチャー技術の中核を成しています。この技術は、時間や空間から切り離された情報の処理や分析を可能にしす。

モーションキャプチャーシステムの起源は、19世紀後半の写真技術の発展により、エティエンヌ=ジュール・マレーやエドワード・マイブリッジによる連続写真を用いた、人間や動物の動きの研究にあります。物理・数学では古くから運動を一つの動点に集約して扱いますが、動点を観測するという点では連続写真の発明を待つことになります。

一口に連続写真といっても、マイブリッジとマレーとでは手法が異なり、マイブリッジは、複数台のカメラを用い個別に写真を撮影したのに対して、マレーは写真銃を使って、シャッターを連射することで一枚の絵を作成したという違いがあります。これは一見、表現の違いだけのように見えますが、目的が異なる点を指摘する必要があります。

マレーが捉えた写真は細分化と動きのダイナミクスを強調するあまり、物の重なりによってディテールが見えにくくなってしまい、写真が持っている象徴的な意味が喪失しています。さらにマレーは研究を進める上で、背景を黒く塗り、動く対象物までも黒布で覆い、取り出したい動きの部位に光を反射する点をつけることで、動点だけを取り出そうとしました。このように動きを抽象化し、動点だけを取り出したことで、身体を構成する線以外に、連続する時間軸に線を見出すことができます。

immagine1

マレーによる、本来ありのままの光を紙に定着する写真を、部分を強調し、余分な部位を排除した撮影方法は、当時としては特異なことだと思われます。マレーの運動に対する探求における極端に抽象化する手法は、科学の方面に新たな方法を開いたといってよいでしょう。

一方で、連続写真はのちの映画へと発展し、象徴的な図像で物語を通じて時間を構築する方法を採用するようになりました。それに続いて、初期アニメーション映画では、ウォルト・ディズニーをはじめとする多くの創造者がアニメーション、つまり生命を吹き込むことに没頭しました。

アルゴリズムダンスとしてのシモーヌ・フォルティー

70年代のポストモダンダンスの動向で、ジャドソンチャーチグループは権威的な舞台から脱却した徹底したパフォーマンス集団として知られています。観客の好みに合わせない自由な創作方法は、劇場や音楽といった、ダンスを構成する重要と思われていた要素を放棄し、運動・動作から組み立てる身体表現を提唱しました。

シモーヌ・フォルティは70年代のポストモダンダンスの文脈において、交錯点と一定良いでしょう。アンナ・ハルプリンから即興とう手法を学び、ロバート・ダンのワークショップを始めとするジャドソンチャーチグループへの参加、最初の夫は現代美術家のロバート・モリスです。明確な文献はありませんが、同時代的に発生していたNewGame運動の風潮による影響も考えられます。フォルティのダンス・コンストラクションズ・シリーズは、1960年12月にニューヨークルーベンギャラリーで公演されました。ダンス・コンストラクションはルールベースで展開する群舞で、特別な訓練を受けたダンサーではない演者でも参加することができるものでした。1961年のダンス・コンストラクションにスティーブ・パクストンとイヴォンヌ・レイナーが参加しており、創作活動に極めて大きな影響を与え、それが1962年から1964年のジャドソン・ダンス・シアターを設立するきっかけになりました。

ダンス・コンストラクションの手法での振付及びルールは、振る舞いが規定されていますが、実行される場所や条件に合わせて個々が自己組織的に再構成する必要があり、コンピューター用語ではこれはアルゴリズムと呼ばれます。

コンピューターサイエンスとの交差

自然界で見られる複雑な現象をコンピューティングとして研究する上で、シンプルなモデルでそのメカニズムを理解しようとする研究として、1827年ロバート・ブラウンが発見したブラウン運動といった研究を踏まえた上で、70年代からLifeゲームやBoidsプログラムなど、生命的な振る舞いをシミュレートするアルゴリズムの開発が行われました。これらは運動の関数での表現から、自己組織化という自律的に関数を変更し、時には生成することを意味しています(生命シミュレーションでは点のことをセル(細胞)と呼ぶ)。現代ではA-Life(人工生命)などの学際的研究分野の発展にも寄与しています。

一方で、スーパーコンピューターを使用する規定された範囲内でのシミュレーション科学ではなく、現実空間で実際に駆動させるシステム全体を考えるコンピューティングとしてフィジカルコンピューティングの分野があります。中でも近年、ノイマン型コンピューターの限界と量子コンピューターの具体的な実現から、新しい演算方法を考え直す動きとして、アンプラグドコンピューティングがあります。アンプラグドコンピューティングを牽引する代表的な研究者としてゴラン・レビンがいます。

“A Workshop in Unplugged Computing” Golan Levin

この理論の背景として人工知能研究の起源「ダートマス会議」と共に1933年にノース・カロライナ州アッシュビルに創立た「ブラックマウンテンカレッジ」参照することがあります。ブラックマウンテンカレッジは実験的な芸術を基礎にしたリベラルアーツ教育を行い、講師には、バクミンスター・フラー、ジョン・ケージ、マース・カニンガムらが教壇を務めました。また、アルゴリズムをダンスとして体現した事例として、先に述べた、ジャドソン・チャーチ・グループの実験的アプローチを参照することがあります。

ゴランはクリエイティブ・コーディングのワークショップのなかで、アルゴリズムを実際に身体的な体験として学ぶために、抽象的な点の動きを人間の群れとして再現するアンプラグドな計算層の体験として教育に取り入れています。これは、ブラック・マウンテン・カレッジに起因し、ジャドソン・チャーチ・グループのシモーヌ・フォルティなどのダンス・コンストラクションの仕事に影響を受けたものです。ゴランは引用元として、ナオミ・レオナードとスーザン・マーシャルによるダンス/エンジニアリング・パフォーマンス「Flock Logic」(2010)を参照しています。

ダンスにおける動きの質の研究

ダンスの譜面で有名なルドルフ・ラバンの「ラバノーテーション」は動きの記述として、モーションキャプチャーシステムの開発にも注目されました。一方でラバノーテーションの動きの質を記述する手法として「エフォート」があります。ラバンは動きの質を8個に分類し、全ての動きはこの8個のエフォートの組み合わせであると考えます。

Effort

ラバノーテーションとエフォートは本来一体として扱うべき記述方で、ラバノーテーションが動きの方向性を記述するのに対して、エフォートはその動きの質感を表現します。動きの質感とは、つまりスピードのパターンということです。これは日本の書にたとえることができ、ラバノーテーションは文字の形を表し、エフォートは筆使いを表していると考えると分かりやすいでしょう。

ラバノーテーションのデジタル化は早い段階で多くの研究者によって試みられてきましたが、エフォートの研究はラバノーテーションと切り離され、主に心理学の分野で発展していきます。動きの質がこのエフォートが表す8種類に限定できるのかという問題があり、ラバンが提唱するペクトラムに正確にマッピングできるかは議論が必要ですが、多くの研究は、喜怒哀楽を仕草から読み取る研究であり、4つの感情に紐づけて研究が進めれるもの多いでしょう。中でも手軽に確認することがきる有名なものとしてbiomotionlabによるBMLwalkerがあります。このデモアプリケーションではGender、Weight、Nervousness、Happinessをスライダーでパラメーターをへんこうすることができます。

エフォートを忠実にデジタルとして関数化した研究も一部存在します。エフォートに清水の研究はエフォート単体の関数化を行い、妥当性をアンケートで定量的に取り出そうとしています。ほとんどの研究は全身のボーンの集合の複数のノードを研究対象としますが、清水の研究は単体のノードに対して一定の評価が得られるもです。

身体表現における情報伝達のためのラバン特徴の数理モデルの研究論文 清水 琢人,西井淳著

cc1820a4eac471bb1f3480d6e02f1d25

今後は機械学習において、あらかじめ決めた関数を証明する研究ではなく、大量の学習データから運動の質を分類し関数として取り出す研究が始まっています。

インタラクティブ・アートとしてのダンス

「Synchronous Objects for One Flat Thing, reproduced」は、振付家のウィリアム・フォーサイスを中心とし、30名を超える研究者の協力を得て制作されました。このプロジェクトは、ダンス作品をデータとして取り出すことで新しくビジュアルアートとして再創造するものです。このプロジェクトではステージ作品「One Flat Thing, reproduced (2000)」を様々な視点からデータ化し、そのデータを通じてダンスの情報を再構築し視覚化するものです。振付に隠された指示線を具体的に視覚化しダンサーの映像にマッピングするだけでなく、全く異なる解釈で空間をせってしアニメーション化する試みや、振付のアルゴリズムだけを取り出して、自己生成的なインタラクティブ・ソフトウェアも制作しました。最終的にはこれらの作品はインターラクティブなウェブサイトとして公開されました。(振付を自己生成するアプリケーションはプラグインのサポート終了のため駆動しません)

Synchronous Objects for One Flat Thing, reproduced

Synchronous Objects

このプロジェクトはのちに新たな4組の振付家、デボラ・ヘイ、ジョナサン・バローズとマッテオ・ファルギオン、ベベ・ミラー、トーマス・ハウアートを迎えてmotionbankとして先起動し、数多くの新しいダンスアーカイブにとどまらない表現をて辞しました。

motionbankは「Synchronous Objects for One Flat Thing, reproduced」のプロジェクト同様に、あらかじめ上演された作品のアーカイブの方法をリクリエイションするものです。

motionbank.org

motionbankと同時並行で行われたワークショッププログラムとしてChoreographiCcodingLabがあり、ダンスのコンピューティングに新たなムーブメントを作り出しました。これは、あらかじめ上演された作品アーカイブをリクリエイションするのではなく、ダンスとコンピューティングが双方向的に取り組むもので、時にはダンサー無で上演される作品も存在します。

ChoreographicCodingLab

結論:点と線

本研究を通じて、ノードを単なる動点として捉えるだけでなく、異なる次元へ開かれた参照点としてとらえ、19世紀末の写真技術の発展から現代のデジタルアートに至るまで、運動の研究においては多くの考察がなされてきました。その一例として、「Synchronous Objects for One Flat Thing, reproduced」というプロジェクトは、ダンスのデータを再解釈し、多様な表現を生み出すことに成功しました。この中でノードは、多様な表現を可能にする重要な要素として機能しています。

現在では、機械学習技術の進歩により、すでに亡くなったダンサーの記録をもとに、その踊りを無限に再現するアバターの創作も可能となっています。これにより、新たなダンス公演の意味が問われるのでしょうか。

ノードの芸術は、新たな表現の可能性を示唆し、線の美学とは美的基準が異なる価値を持つことを指摘します。ノードの芸術は、新たな表現の可能性を示唆しており、その価値は従来の美的基準とは異なる視点から評価されるべきでしょう

動点の理論は、数学やシミュレーションにおいて議論されていますが、ノードを芸術の観点から捉える場合、その焦点は動きの質にあります。ノードの芸術は、新たな表現の可能性を示唆し、線の美学とは美的基準が異なる価値を持つことを指摘し、ノードの芸術は、新たな表現の可能性を示唆しており、その価値は、従来の美的基準とは異なる視点から評価されるべきでしょう。


参考文献

“作って動かすALife―実装を通した人工生命モデル理論入門”岡 瑞起、池上 高志、ドミニク・チェン、青木 竜太、丸山 典宏:著

“計算する生命”森田真生: 著

“人工生命_デジタル生物の創造者たち”スティーブン・レビー:著 服部桂:訳

“アンチ・スペクタクル-沸騰する映像文化の考古学〈アルケオロジー〉 “第2章フロイト,マレー,そして映画―時間性,保存,読解可能性メアリー・アン・ドーン:著

“New Games Book” by New Games Foundation 日本では”どこでもできるスポーツ_子どものためのライフ・スタイル”にも一部掲載

“Terpsichore in Sneakers: Post-Modern Dance” By: Sally Banes

“Manuel en mouvement: Nouvelles de danse” By : Simone Forti

“Transmission in Motion” 10, What Else Might this Dance Look Like? Synchronous Objects
By: Norah Zuniga Shaw

“モダンダンスのシステム―イギリスの教育舞踊とその展開” 現代舞踊学双書3 ヴァレリィ・プレストン:著, 松本 千代栄:翻訳

“中国山水画の誕生”マイケル サリヴァン:著 中野 美代子, 杉野目 康子:訳

カンディンスキー著作集2 “点・線・面カンディンスキー:著, 西田 秀穂:訳

“見えないものを見る: カンディンスキー論” ミシェル アンリ :著 青木 研二 :訳

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。