20世紀初頭におけるアニメーションの隆盛は、動きの線や動きの研究をさらに推し進め、エンジニアたちが動きの中に生命を感じ取るという独特の感性を考察しました(図1)。それは動きに生命を宿す試みで、かれらは生きている動きを本質を捉えようとする探求でもありました。一方で20世紀、人工知能研究と並行して人工生命という学際的分野が発展し、ソフトウェアからロボット工学に至るまで、生命的振る舞いの研究が進展しました。これらの研究は、アニメーションといった従来の美学とは異なる観点から「生」の証明を試みるものでありました。そこで、ラテン語のアニメート「命のないものに生命を吹き込む」を基にアニメーションから人工生命研究までを広く考察範囲に含めることができると考え、以下に述べていきます。
本論文では、動きの中に「生」の本質を追求するのではなく、生を読み解く手法を検証し「動点=ノード」という概念を用いて「生」についての考察を展開します。特に注目したのは、自然現象の定量的計測がもたらした抽象性と、そこに含まれる「生のデータ」です。これらは、ダンスを一種の計算手段として捉える新たな視座を提供するでしょう。
具体的な事例として、エティエンヌ=ジュール・マレーによる写真を用いた運動研究、ジャドソン・チャーチ・グループによるアルゴリズムとしてのダンス、そしてウィリアム・フォーサイスのSynchronous Objectsプロジェクトを取り上げ、それぞれの時代における新たな表現の可能性について検証を行ます。
Contents
ノードとは何か
モーションキャプチャー技術において、身体の関節の点を「ノード(node)」と呼びます。ノードとは、「結び目」や「集合点」、「節」を意味し、一般的にはネットワーク用語として知られています。コンピュータネットワークでは、ノードは装置を示す点として表され、それを結ぶ伝送路が線として描かれます(図2)。同様に、モーションキャプチャーにおけるノードも、身体の各部位が互いに関係しながら動作する動点として機能し、動き全体の集合を形成します(図3)。
ノードは3次元のベクトル情報を持ち、回転軸を有し、空間との相対関係を持っています(図4)。これらのノードは人体を表現するのに使用され、全身の関節を表す点群として機能します。その応用範囲は広く、蛇のような多関節の動物を表現することも可能で、時には鳥のような飛行する単体の生物を1点で表現することもあります。
モーションキャプチャーシステムにおけるノード
モーションキャプチャーシステムで測定する際の問題としてたとえば、動物の動きを分析する際、筋肉の収縮を直接測定することは非常に困難です。通常は表皮の動きをカメラで追跡しますが、筋肉の深層で起こる複雑な動きは捉えきれません。そのため、得られるのは運動の結果に過ぎず、動作そのものを完全に把握することは難しいのです。これを解決するために、動作は抽象化され、単純化されたモデルとして扱われます。
モーションセンサーによる座標計算によって、外から見えない体内の動きもシミュレーションが可能になります。しかし、このノードは必ずしも正確な人間の骨の動きを指しているわけではありません。モーションキャプチャー技術は医療、映画、ゲームなど、さまざまな分野で異なる目的に応じて発展してきました。医療分野では高解像度のデータが求められますが、ゲームでは処理パフォーマンスが優先され、両者のノード数も配置も全く異なります。いずれの場合も、ノードは物理的な次元から切り離された仮想的な参照点として、コンピュータによって再解釈されます。これは、自然現象を元々の文脈から切り離し、抽象化する一種のプロセスといえます。
ノードにみる生命感
ノードに生命感を感じるということは、点群もしくは単体のノードが、低速移動やボールのバウンド、抵抗による速度の終息といった物理現象には生命を感じませんが、しかし、風船に手を差し出したときに、それが静電気による物理現象であったとしても、ゆっくりと自分の方へ近づいてきたなら生命を感じる人は多いでしょう。恣意的な影響を受けた動きに人は生命を感じ取ることを意味します。これらの動きや変化を通じて、ノードは生命らしさを表現するのです。
抽象化とは、「本来、孤立して存在することができないものを、孤立させて考えること」です。言語も、具象的な事象から切り離して抽象化することで成り立っています。抽象化は人間が得意とする行為であり、芸術作品にもその例が見られます。たとえば、中国の山水画における「気韻生動注」や「骨法用筆注」は、気の流れを読み取り、骨格を描写するとし、抽象化を図る一つの方法です。
芸術論では概念としての「線」について考察が多く見受けられます注。厳密には、絵画において線は動点の軌跡であり、点の集合でもあります。線は過去の時間の軌跡を示し、その長さが増すにつれて、より多くの過去を巻き取っていきます。線が過去に向かうことで意味を含むようになり、線に関する美学論が無数に存在するのはここに由来します。
ノードの理論は、数学やシミュレーションにおいて議論されており、ノードを芸術の観点から捉える場合、その焦点は「動きの質」にあります。
18世紀末運動の研究が生んだノード
18世紀末、大きなパラダイムシフトをもたらした写真技術は、銀の粒子を紙に定着させるという物理現象により、瞬間の光を像として定着し、それぞれの像を比較することが可能となりました。この技術により、出来事を抽象化し、定量的に測定することができるようになり、情報は時間や空間から切り離され、データとして変換・比較が可能となったのです。結論として、ノードは物理現象を抽象化し、デジタル空間で再解釈される仮想的な参照点として、モーションキャプチャー技術の中核を成しています。この技術は、時間や空間から切り離された情報の処理や分析を可能にします。
モーションキャプチャーシステムの起源は、19世紀後半の写真技術の発展により、エティエンヌ=ジュール・マレーやエドワード・マイブリッジによる連続写真を用いた、人間や動物の動きの研究にあります。物理・数学では古くから運動を一つの動点に集約して扱いますが、動点を観測するという点では連続写真の発明を待つことになります。
一口に連続写真といっても、マイブリッジとマレーとでは手法が異なり、マイブリッジは、複数台のカメラを用い個別に写真を撮影したのに対して、マレーは写真銃を使って、シャッターを連射することで一枚の絵を作成したという違いがあります。これは一見、表現の違いだけのように見えますが、目的が異なる点を指摘する必要があります。
マレーが捉えた写真は細分化と動きのダイナミクスを強調するあまり、物の重なりによってディテールが見えにくくなってしまい、写真が持っている象徴的な意味が喪失しています。さらにマレーは研究を進める上で、背景を黒く塗り、動く対象物までも黒布で覆い、取り出したい動きの部位に光を反射する点をつけることで、動点だけを取り出そうとしました。このように動きを抽象化し、動点だけを取り出したことで、身体を構成する線以外に、連続する時間軸に線を見出すことができます。
マレーによる、本来ありのままの光を紙に定着する写真を、部分を強調し、余分な部位を排除した撮影方法は、当時としては特異なことだと思われます。マレーの運動に対する探求における極端に抽象化する手法は、科学の方面に新たな方法を開いたといってよいでしょう。
一方で、連続写真はのちの映画へと発展し、象徴的な図像で物語を通じて時間を構築する方法を採用するようになりました。それに続いて、初期アニメーション映画では、ウォルト・ディズニーをはじめとする多くの創造者がアニメーション、つまり生命を吹き込むことに没頭しました。
マレーによる、本来ありのままの光を紙に定着する写真を、部分を強調し、余分な部位を排除した撮影方法は、当時としては特異なことだと思われます。マレーの運動に対する探求における極端に抽象化する手法は、科学の方面に新たな方法を開いたといってよいでしょう。
線と点とノード
芸術論では概念としての「線」について考察が多く見受けられ、ウィリアム・ホガース(William Hogarth1697-1764)の『美の解析』のなかで、美の根源をS字曲線に見出しています。厳密には、絵画において線は動点の軌跡であり、点の集合でもあります。線が点の集合であることを見抜いていたのはカンディンスキー(Wassily Kandinsky1866-1944)ですが、彼の語る点は常に平面上にプロットされる一定の面積を持つ形状を指しています。また、線は過去の時間の軌跡を示し、その長さが増すにつれて、より多くの過去を巻き取っていくでしょう。線が過去に向かうことで意味(イコン)を含むようになり、線に関する美学論が無数に存在するのはここに由来します。抽象芸術が絵画を再定義する際に点の抽象性を論じ、点がピリオドといった終止符以外の意味を持たない形状であることも大きいでしょう。そして美といったものを定義できるのでしょうか。
ノードは、それらの点とは異なり、3次元空間を起点とし、時間軸と方向性を持ち、ネットワーク化された動点群です。海中の小魚の群れをイメージできるでしょうか。しかし、コンピューターの中では3次元空間にとどまらず、より高次元の空間へ拡張されうることを意味します。これは、連続写真のマレーのわずか前に、数学者のガウスやリーマンの研究以降、数学が現実世界の直感的な空間を超え、抽象的な多様体という概念を確立したことに類似しています。この概念は、クラインの壺のような非ユークリッド幾何学や相対性理論の基礎となり、現代物理学に大きな影響を与えています。ノードも同様、多様体として捉えることで、異なる次元間を移動し、複雑な関係性を表現できる可能性を秘めています。従来の3次元空間におけるノードの概念は、この多様体としてのノードの一側面に過ぎません。
ノードにおける動きの質の研究
ダンスの譜面で有名なルドルフ・ラバンの「ラバノーテーション」は動きの記述として、モーションキャプチャーシステムの開発にも注目されました。一方でラバノーテーションの動きの質を記述する手法として「エフォート」があります。ラバンは動きの質を8個に分類し、全ての動きはこの8個のエフォートの組み合わせであると考えます。ラバノーテーションとエフォートは本来一体として扱うべき記述方法で、ラバノーテーションが動きの方向性を記述するのに対して、エフォートはその動きの質感を表現します。動きの質感とは、つまりスピードのパターンということです。これは日本の書にたとえることができ、ラバノーテーションは文字の形を表し、エフォートは筆使いを表していると考えると分かりやすいでしょう。
ラバノーテーションのデジタル化は早い段階で多くの研究者によって試みられてきましたが、エフォートの研究はラバノーテーションと切り離され、主に心理学の分野で発展していきます。動きの質がこのエフォートが表す8種類に限定できるのかという問題があり、ラバンが提唱するスペクトラムに正確にマッピングできるかは議論が必要です。
一方心理学で多くの研究は、喜怒哀楽を仕草から読み取る研究が多く、エフォートの8種類の動きの質に加えて、喜怒哀楽の4つの情動に紐づけて研究が進められるものが多いです。重力方向とスピードに疲労感、幸福感を紐づける考え方は情動という点では整理できても、ダンスの視点からは疑問が残る分類です。重力と緊張を考慮した優良なシミュレータのなかでも有名なものとしてbiomotionlabによるBMLwalkerがあります。このデモアプリケーションではGender(性別)Weight(体重)、Nervousness(緊張)、Happiness(幸福)をスライダーでパラメータを変更することができます。これを見ても分かるように、西洋音楽におけるスカッタートや速度を表すピアノ・フォルテなどのとはやや異なる方法で十分状態を表現し、またノード群が全身の質的印象を左右していることが分かります。
BMLwalkerを見ても分かるように、群のネットワークであることで多様な表現を生み出していることが分かります。今後は機械学習において、あらかじめ決めた関数を証明する研究ではなく、大量の学習データから運動の質を分類し関数として取り出す研究が始まっています。
BMLwalkerはブラウザーで動きます
BioMotionLabによるシミュレーターwww.biomotionlab.ca/html5-bml-walker/
ノード空間の観測の問題
ノード空間は3Dであり、鳥や小魚の群れの様な点郡から、人型まで様々なノードが空間を移動していると状態で、本来ノードには面積がないので点を立体的に表現し、時にはノード同士に線を結んで関係性を表現したりと、人間に見やす用に加工しています。しかし、そのような工夫では表現できないものがあります。
モーションキャプチャーなどで収録したデジタルデータの問題点のひとつは、観測視点が記録されないことです。つまり、ビデオカメラで撮影したなら、カメラを置いた位置が観測点となりますが、モーションキャプチャー及びシミュレーション空間には、観測点座標が存在しないからです。部分的に物理現象が挿入されても、それが判別できません。
日常空間では、朝、自宅のチューリップのつぼみが開けば、その日の和解を祝っているような心地にさせてくれるかもしれません。しかし、これは、「時間は逆戻りしない」や「チューリップは一度開くと閉じない」などの基本条件があってこそ成り立つ場の条件が、デジタル空間では消えてしまうことを意味しています。これは振付家にとっては致命的かもしれません。これは観測者が事物との関係が整っていることから、ただの自然現象でも、背後に関係性を見出してしまうことを意味しています。
人は無意識のうちに自然現象と誰かのために行っている行動とを二分しています。パフォーマンスであれば、観客のためにやっているのか、出演者同士のためにやっているのかを瞬時に見分けています。日常空間においてはこれが観測者のコンテクストに依存している都合から、自然現象が表現行為と混同したり、その逆も起こります。厳密にいえば、動きに生を感じること事態は観測者のコンテクストの問題に関わっており、自然現象と表現行為を分けることは難しいと言えます。
この問題を別の視点、映画で考えてみると、映画館などで映画を見ているとき、例えば小津安二郎の映画で、笠智衆から原節子へとカメラの位置がどんどん変わるにもかかわらず、一つの出来事として捉えることができます。これが西田幾多郎の「場」を共有しているということであり、カメラワークが頻繁に変わるにもかかわらず、一つの物語として理解できること自体が、「絶対無」の状態で見ているということだと筆者は解釈しています。そのように考えると、VRゴーグルを使って鑑賞・体験する場合、現状では不自由なアバターの身体が強調されてしまう問題があり、このあたりで体感として躓いてしまいます。もっとよい方法で場を整えれば、ノード自体がもっと見えてくるのではないでしょうか。つまり、現状では観測点があいまいな、ノード空間を鑑賞するための良好な環境がないと考えられます。
アルゴリズムと生
1960年代のポストモダンダンスにおいて、ジャドソン・チャーチ・グループは権威的な舞台から離脱した急進的なパフォーマンスグループとして知られています。彼らは観客の好みに左右されることなく、実験的で自由な創作アプローチを追求しました。特に従来のダンスで重要視されていた演劇や音楽の要素を意図的に放棄し、純粋な動きと行動による身体表現を提唱しました。代表的なダンサーには、イボンヌ・レイナー、スティーブ・パクストン、デボラ・ヘイ、トリシャ・ブラウンなどがいます。その中でも、シモーヌ・フォルティは現代のポストモダンダンスの交差点を象徴する存在とこの論文では捉えています。
この時代のアメリカは、特異な社会背景の中で多様な社会運動が生まれ、文化的・思想的な潮流の中で、相互的連鎖的に思想を共有しながら、シモーヌ・フォルティは、この時代の思想的ネットワークにおける重要な結節点(ノード)としての役割を担っていたのです。60年代のアメリカの先駆的な若者は、自然との共存を重視し、サルトルや禅の本を読み、森でヨガを行い、マリファナを吸っていました。コンピュータ開発は一見異なる分野に思えますが、実際は個人主義、情報共有、創造的な実験を推進する思想がDIY、パーソナルコンピューター、オープンソースソフトウェアーの開発を促進しました。スティーブ・ジョブスなど革新的なコンピューターの原理を思考し考案した地盤でもありました。
4.1 ノード(交差点)としてのシモーヌ・フォルティ
ジャドソン・チャーチ・グループの特徴は、革新的なルールベースの振り付けです。 彼らは複数の可能性を選択できるルールや、柔軟に組み替え可能なタスクを置くことで、従来のダンス表現の概念を大きく変革しました。中でも決定的なのは、ダンサー自身のフィードバックを振付のプロセスに組み込んだことです。
多くのジャドソン・チャーチ・グループのメンバーがマース・カニングハムの舞台に出演するダンサーであった一方、フォルティはアンナ・ハルプリンから即興を学んだ異色の存在でした。また、当時のパートナーであった現代美術家のロバート・モリスを通じて現代美術との関わりを持っていました。後にロバート・ダンのワークショップを含むジャドソン・チャーチ・グループに参加します。
1960年代のアメリカでは反体制文化運動が広がり、この運動の担い手であるヒッピーたちは、物質主義、消費主義、ベトナム戦争を拒絶し、平和、愛、共同生活を重視しました。アンナ・ハルプリンとシモーヌ・フォルティもこのヒッピー文化の影響を受け、コミュニティの形成、実験的精神、伝統的なヒエラルキーの拒絶といった理想を共有していました。なお、明確な記録は残されていないものの、ヒッピー文化に起源をもつ勝敗よりも協働を重視するニューゲーム運動の影響もフォルティの活動に及んでいたと考えられます。
ここで指摘しておくべきは、カニングハムが採用していた即興とは、ケージの影響下にあり、作曲家の視点から偶然性を採り入れる方法として、偶然性操作を使用しました。彼の目標は、音楽の本質と作曲家の役割を問い直すことでした。それに対して、アンナ・ハルプリンによるムーブメントの即興とは、個人とその個人的な経験に焦点を当てていました。即興を自己発見、癒し、個人的な表現のための手段として用いていました。彼女の目標は、動きを通して個人が身体、感情、経験とつながるのを助けることでした。つまり、シモーヌはこの異なる二つの異なる思想のノード(交差点)にいると言えるでしょう。
1960年12月、フォルティの「ダンス・コンストラクションシリーズ」がニューヨークのルーベン・ギャラリーで上演されました。これは特別な訓練を受けていないパフォーマーでも実践できる、ルールに基づいた集団ダンスでした。1961年にはスティーブ・パクストンとイボンヌ・レイナーが参加し、彼らの創作活動に大きな影響を与え、1962年から1964年にかけてのジュドソン・ダンス・シアターの設立へとつながりました。ダンス・コンストラクションの手法での振付及びルールは、振る舞いが規定されていますが、実行される場所や条件に合わせて個々が自己組織的に再構成する必要があり、コンピューター用語ではこれはアルゴリズムと呼ばれます。
4.2 コンピューターサイエンスとのノード(交差点)
フォルティのダンス・コンストラクションの「スクランブル」はエクササイズとして知られ、シンプルなタスクで集団に振り付けるものでとくにフィードバックを重視したダンスです。これをさらに厳密に行ったダンス/エンジニアリング・パフォーマンス「Flock Logic」(2010)は、クリエイティブコーディングと呼ばれるコンピューターアート・デザインの分野で再解釈されます。プログラマーたちがコンピュータの演算処理を自身で体験することで、新たなコンピュータの原理を考察するきっかけを作りました。この活動はダンスを演算処理としてとらえなおすことができる試みです。
自然界で見られる複雑な現象をコンピューティングとして研究する上で、シンプルなモデルでそのメカニズムを理解しようとする研究があります。1827年ロバート・ブラウンが発見したブラウン運動はその一例であり、70年代からLifeゲームやBoidsプログラムなど、生命的な振る舞いをシミュレートするアルゴリズムの開発が行われました。自己複製する単純なオートマタから複雑なデジタル生態系まで多岐にわたります(生命シミュレーションでは点のことをセル(細胞)と呼ぶ)。現代ではA-Life(人工生命)などの学際的研究分野の発展にも寄与しています。
アーティストやデザイナーが新たなビジュアル表現として取り組んだクリエイティブ・コーディングは、単なるコンピュータープログラミングの技術とは異なり、より創造的な側面に重点を置いています。コンピューターの処理能力の向上と、プログラミング言語の発展により可能となったこの分野では、ジョン前田とゴラン・レビンが先駆者として重要な役割を果たしました。A-Lifeの先行研究はクリエイティブ・コーディングにも大きな影響があります。
一方で、スーパーコンピューターなどを使用する規定された範囲内でのシミュレーション科学ではなく、現実空間で実際に駆動させるシステム全体を考えるコンピューティングとしてフィジカルコンピューティングの分野があります。中でも近年、ノイマン型コンピューターの限界と量子コンピューターの具体的な実現から、新しい演算方法を考え直す動きの一つとして、アンプラグドコンピューティングがあり、クリエイティブ・コーディングのゴラン・レビンが近年教育の現場でアンプラグドコンピューティングを牽引し、ゴランもまた横断的にコンピューティングとアートの分野におけるノード(交差点)の役割があります。
アンプラグドコンピューティングの理念背景として、ゴランは人工知能研究の起源ともいわれる1956年の「ダートマス会議」と、1933年に創立された実験的な芸術学校「ブラックマウンテンカレッジ」を参照します。クリエイティブ・コーディングのワークショップの中で、現在使用されているコンピューターが施策された時代を再批評する意味で、ゴランはアルゴリズムを実際に身体的な体験として学ぶワークショップを行います。アルゴリズムを元にノードの動きを人間の群れとして再現するアンプラグドな計算層の実体験を学生に提供します。その引用元として、数理学者ナオミ・レオナードと振付家スーザン・マーシャルによるダンス/エンジニアリング・パフォーマンス「Flock Logic」(2010)を参照しています。スーザン・マーシャルはジャドソン・チャーチ・グループとの直接的な関係は示されていませんが、その振付スタイルは伝統的なアメリカポストモダンダンスを起用し、ジャドソン・チャーチ・グループおよびシモーヌ・フォルティのダンス・コンストラクションの影響を強く受けているといえるでしょう。
“A Workshop in Unplugged Computing” Golan Levin
60年代アメリカという特異な社会背景において、批評的な実験グループであるジャドソン・チャーチ・グループの革新的な振付手法、特にその振付に組み込まれたフィードバックの原理に焦点を当て、当時の60年代の芸術的潮流が近年再び批評的に注目される中、次世代コンピューターの考察のために、アルゴリズム的ダンスを再参照し、人間の行動、思考、そして演算の新たな方法としてダンスを再解釈する試みとして解釈できます。ダンスの新たな可能性がここにあると考えられます。
インタラクティブアーカイブとその先
ここでは、「Synchronous Objects」を中心に、ダンス作品のデジタルアーカイブ化の可能性について紹介するとともに、創作の段階でコンピュータを導入するおとでがもたらしたダンス創作の現場を紹介します。
Synchronous Objects
「Synchronous Objects」は、振付師のノラ・ズニガ・ショー、振付師のウィリアム・フォーサイス、アニメーターのマリア・パラッツィが監督する振付の視覚化プロジェクトで、2009年に開始されました。このプロジェクトでは、ダンスの組織システムをデータ分析し、ダンスのパターンを明らかにするだけでなく、それらのデータを新たな視覚表現への再変換することで創造的かつ分析的な、新たなオブジェクト(CGアニメーションなど)とコンピューターアプリケーションを生成しました。
フォーサイスの”One Flat Thing”(2000)が、このプロジェクトの中心的なリソースとなります。これは、17人のダンサーによる15分間のアンサンブル作品で、複雑な組織体系が特徴です。
ダンスのシステムは、3つの主な振付構造(振付オブジェクト)に分解されます。テーマ(動きの要素)、キューイング(タイミングを指示するダンサー間の信号)、アラインメント(ダンサー間の同期した同一ではない動き)これらの要素は、ダンサーのビデオインタビューと様々な角度から撮影されたビデオによる空間的な相互関係が分析され、振付を数値および視覚パターンは、ビデオ映像に関係線がアニメーションとしてマッピングされました。
このプロジェクトでは One Flat Thingの解説的な解析動画だけにはとどまりません。そこでは解析データの様々な解釈によって、複数の異なる映像作品を生成しました。純粋に分析的なもの、振付のパターンを明らかにするもの、ダンスのアイデアを拡張し、新たな形を生み出す創造的な解釈を与えるオブジェクトもあります。また、ダンスの構造を一連のインタラクティブなデジタルオブジェクト(Bot)に変換し、自己組織的にダンスを生成するコンピューターアプリケーションも制作されました。
このプロジェクトは学際的な要素が強く、建築、統計学、認知心理学、視覚芸術、デザイン、コンピュータサイエンスなどの分野の専門家が関与し、多様な視点が、ダンスの分析、表現、再解釈の方法に大きな影響を与えました。
この発展には、フォーサイスがプロジェクトの中心概念として導入した「振付オブジェクト」が重要な役割を果たしています。これにより、ダンスをその本来の形態(生身のダンス)から新しいメディアへと展開し、データの視覚化を通じてデジタル形式への「翻訳」が可能となりました。
これらの様々な解釈による振付データの視覚化によって生まれたオブジェクトは、ダンスの構造に関する洞察を提供し、ユーザーが振付データを操作・調査することを可能にすることで、ダンスへのより深い関与を促し、デジタルデータによる新たに視覚化がダンスの別の可能性提示していることが重要です。
振付データの視覚化によって生まれた様々なオブジェクトは、ダンスの構造に関する深い洞察を提供し、さらにユーザーが振付データを操作・調査できるようになったことで、ダンスへのより深い関与が促されています。このように、デジタルデータによる視覚化は、ダンス表現の新たな可能性を示しているのです。
Synchronous Objectsは2009年の開始以来、オンラインプラットフォームを中心に、美術館での展示、教育ワークショップなどで公開され、現在も世界中の視聴者に公開されてきました。オンラインプラットフォームではプロジェクトのコンセプトを説明し、さまざまな観点からのアプローチを提供するエッセイ、ビデオ、解説とともに、20の視覚的なオブジェクトが紹介されています。(2024年現在はAdobe Flash サポート終了のため駆動しません)
motionbankから始まる新しいスタイル
ノードの効果と事例
コンピューターを使用すると、定量的に運動を計測することで情報処理が可能となり、測定データを基に様々な計算や統計処理が可能です。例えば長さや量を一目で勝つ厳密に瞬時に比較できるようになり、シミュレーションが可能です。重力による加速度計算など正確に行えます。また異なる単位への変換、過去のデータ蓄積による運動パターンや変化の分析といったデータ処理が特にも優れています。
ノードの可能性として、自分が関わったRAMを例に紹介します。
RAMの理論ははマイロン・クルーガーの人工現実の理論を先行事例として、インターラクションフィードバックをディスプレイ現実の鏡の様に使い、モーションキャプチャーで習得した自分の姿を見ながら新しい動きのアイデアを考えるというものです。ここではノードの利点が十分に発揮されていると思われます。
Line
フォーサイスのインプロビゼーションテクニックに由来するエクササイズで、空中に点、線、面を意識することを特徴とします。身体の腕や足などのラインを延長し、異なるラインを接合することで、現実には存在しない独自の曲線を創造できます。
このエクササイズの特徴は、手足から好みの濃度で線を伸ばし、さらにその線を体内に貫通させるように動くことにあります。コンピューター技術により、曲線の曲率を設定することで、竹のしなりのような柔らかさや質感を疑似的に体験することができます。クラシックバレエなど技術取得に置いてこのしなやかな曲線をイメージすることはたびたびおこなわれるが、常に口伝のため、各々にイメージする質感は異なるのだが、このアプリケーションでは、同一のイメージを共有することができ点が画期的です。
Chain
パントマイムのように想像上で目の前に具体的なものを置く振り付けや演出は従来から存在しますが、しかし、コンピューターによる正確な物理計算を用いると、従来の想像上の物理現象とは異なる特性に気づくことがあります。
例えば、チェーンの先端は腕にくっついており、重さが全くない。とする。そのこのような特殊な条件下では、チェーンを引っ張ると力がゆっくりと伝達され、独特の動きが生まれます。私たちは日常的に完全に重力や重さのない鎖を経験したことがないため、このような動きはなじみでありながら同時に違和感をもたらします。
Monster
モーションキャプチャーにおける人体を構成する線を、コンピューター上でランダムに繋ぎ変え、単一の線に変換するアプリケーションです。このシンプルな変換により、ディスプレイのボーンん及びノードは自分と同時に動くことから、自分であるという意識は保持されるものの、身体の動きを完全にコントロールできない状態が生み出されます。
未来予測/Future
コンピューターは予測シミュレーションを得意とし、この未来予測技術は、直前の自分の位置を基準に、現在地から少し先の未来の位置を予測してノードを見せるシンプルな方法である。
この技術を体験したダンサーたちは、興味深い身体的感覚を報告しています。最も顕著な感覚は「身体の軽さ」で、これは絶好調の日の身体感覚に例えられる。その感覚は非常に強烈で、シミュレーションによって予測された身体の方を「本当の身体」と錯覚するほどです。
加えて、この未来予測システムを通じて、ダンサーの動きは通常よりも無意識的に大きくなる特徴が観察されています。
関係線/Relationship Line
このシーンは、デュオで踊る際に、両者のノード間にラインを引くことを特徴とするアプリケーションです。
通常、私たちは自身の関節間の関係性を意識しています。例えば、肩-肘-腕-手といった身体内部のつながりを自然に感じ取っています。しかし、パートナーとの身体的な関係性については、そのようなつながりを意識することは稀ではないでしょうか。
以下の参考動画は中盤より数秒前の自分との関係線が表示されています。さらに全体を通して、ラインやディレイといった複数のシーンがオーバーラップしています。このように、即興パフォーマンス時には複数のアルゴリズムを自由に立ち上げながら行っています。コンピューターを使用しない即興パフォーマンス時にもこのような心のアルゴリズムを立ち上げているのですが、パートナーが同じアルゴリズムを立ち上げているとは限りません。コンピュータで視覚することで、使用するアルゴリズム事態を共有できるということが即興パフォーマンスにおけるノードつかった道具の最大の利点と言えるでしょう。
終わりに変えて
本論文は、動きの中の「生」を読み解く手法として「動点=ノード」という概念を導入し、ノードの点群ネットワークの役割を多角的に考察するものでした。これは、ダンスと運動に対する計算論的アプローチによる理解のアップデートを目指しています。
80年代末のマレーによる先駆的な運動写真の研究から現代のデジタルダンスプロジェクトに至るまで、我々の動きの捉え方と抽象という解析手法は進化を遂げてきました。連続写真からモーションキャプチャシステムへの歴史的な進化は、テクノロジーの進歩により動きを抽象化し、数値化することを可能にしました。この過程で、ノードは身体の動きとデジタル表現の重要な架け橋となり、創造的表現と解析的理解を可能にしました。
この抽象化は、ダンスの芸術性を損なうどころか、むしろ創造的な表現と理解のための新たな道筋を開きました。シモーヌ・フォルティを代表とするジャドソンダンスグループの活動は、彼らの動きに対するアルゴリズム的アプローチを芸術表現として持ち込んだことにより、コンピューターによる振付の発展と、さらなる学際的な発展を予見しました。
Synchronous ObjectsやMotion Bankのようなプロジェクトは、ダンスの理解と記録の方法において、パフォーマンスでは見えない新しいパターンや関係性を明らかにしただけでなく、舞台表現では実現できない全く新しい表現を提示してみせました。文学の翻訳を引き合いに出すと、良い翻訳とは単純な変換ではなく、一部の要素が失われたとしても本質を捉えることが重要です。これらのデジタルプラットフォームは、ダンスの芸術的および構造的な要素を維持しながらメディアへの変換を実現することで、新しい表現の可能性を広げています。
本論文の背景には、生の情報がデジタルデータに置き換えられても、その本質は維持されるのかという問いがあります。これは、ダンスの本質は生の共感にあり、動きのダイナミクスがもたらす感動は、人間の本質的な問題に触れているからです。その点では本論文はアウトラインを描くにとどまっています。マレーによる先駆的な運動写真研究がもたらした人間の意識改革に比べると、フォーサイスのプロジェクトはまだ入り口に過ぎません。
ダンステクノロジーは、ノードという点群ネットワークの概念を導入することで、記録と分析のための多角的なデジタルプラットフォームを創出し、振付作品の保存に新たな可能性をもたらしました。複雑な動きのパターンを解析し視覚化する技術は、RAMの先駆的事例から動きのコミュニケーションの分野で創造的な可能性を見出し、これらの技術革新は、振付の創作や指導方法に変革、ダンス分析からスポーツ科学、リハビリテーション医学まで、幅広い分野での応用が期待されます。ダンステクノロジーの未来は、従来の劇場空間や人間の動きを置き換えることではなく、それらを拡張し発展させることにあります。そして最も重要なのは、ダンスに内在する生の力を与える人間の本質的な要素を維持しながら、表現の新たな可能性を生み出すことでしょう。
参考文献
“作って動かすALife―実装を通した人工生命モデル理論入門”岡 瑞起、池上 高志、ドミニク・チェン、青木 竜太、丸山 典宏:著
“計算する生命”森田真生: 著
“人工生命_デジタル生物の創造者たち”スティーブン・レビー:著 服部桂:訳
“アンチ・スペクタクル-沸騰する映像文化の考古学〈アルケオロジー〉 “第2章フロイト,マレー,そして映画―時間性,保存,読解可能性メアリー・アン・ドーン:著
“New Games Book” by New Games Foundation 日本では”どこでもできるスポーツ_子どものためのライフ・スタイル”にも一部掲載
“Terpsichore in Sneakers: Post-Modern Dance” By: Sally Banes
“Manuel en mouvement: Nouvelles de danse” By : Simone Forti
“Transmission in Motion” 10, What Else Might this Dance Look Like? Synchronous Objects
By: Norah Zuniga Shaw
“モダンダンスのシステム―イギリスの教育舞踊とその展開” 現代舞踊学双書3 ヴァレリィ・プレストン:著, 松本 千代栄:翻訳
“中国山水画の誕生”マイケル サリヴァン:著 中野 美代子, 杉野目 康子:訳
美の解析 著: ウィリアム ホガース 訳: 宮崎 直子
カンディンスキー著作集2 “点・線・面カンディンスキー:著 西田 秀穂:訳
“見えないものを見る: カンディンスキー論” ミシェル アンリ :著 青木 研二 :訳