ジェンダー平等の陰で「見過ごされる男性の弱者性」:孤独と狂気を秘めた最底辺の構造

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近年、女性、子ども、障害者など従来の社会的弱者の権利回復は進展しています。一方で、この「ジェンダー平等化」の潮流は、男らしさを解体これまで存在していたにもかかわらず見過ごされていた弱者男性層が可視化されつつあるのかもしれません。

これらは、単に弱者カテゴリーがもう一項目増えたという単純な話ではなく、男性の根源的な特性と、競争が激化する現代社会の構造が交差したところに生まれる、問題です。

1. 序章:平等化の潮流が産んだ「新しい弱者」

ジェンダー平等化の意見をみていると、男女に違いが見られるのは、幼少期からの「ジェンダー・ステレオタイプ」に基づく教育や社会的な期待が作用しており根本は同一であるという主張と、男女の間に生物学的異なり、差異を認めあうことを主張する意見とがあるように根本で意見が別れているように見えます。私は後者の立場です。それは男女では感受性に生物的傾向があり、それらが根源的な思考回路、哲学に影響していると思うからです。

従来の「男らしさ」という社会的圧力が、ある意味では弱者男性の存在を覆い隠してきた一方で、その規範が弱まることで、かえって彼らの困難な状況が浮き彫りになってきているとも解釈できます。

2. 📚 学力・言語能力の「分散」が引き起こす格差の深化

なぜ男性は「極端」になりやすいのか?

男女の違い関する一事例として学力テストの偏差値分布を見ると、男女で明確な違いが見られるとする研究があります。

  • 女性: スコアが平均点周辺に集中し、成績が安定しやすい傾向。日々の学習を計画的かつ継続的に行う傾向が強いことが理由として挙げられています。
  • 男性: スコアのばらつきが大きく、極端な高得点層と極端な低得点層の両方に広く分布する傾向が観察されています。一夜漬けやテスト直前の集中学習に頼りがちで、成績の波を生みやすいという指摘もあります。

男性の学力スコアのばらつきの原因が、集中学習に頼りがちで、成績の波を生みやすい、これが原因の一つと見るのは乱暴すぎると思います。

それよりも、文献を見たわけではありませんが、幼少期女の子はお喋りを始めるのが男の子より早いと聞きますが、この差が初期の言語能力に起因する可能性です。早期に言語能力が発達しやすい傾向がある女子は、文章の読解力、論理的思考力、そしてコミュニケーション能力において学齢期から優位に立つことが多く、これが全科目の安定した成績に繋がると考えられます。それに対して言語能力に乏しい低偏差値層の男性です。

言語能力の不足は、単に「国語の点数が低い」という話に留まりません。どの強化も問題は言葉で書かれており、出題の理解力は言葉の理解力に依存しているからです。さらに対人コミュニケーション能力や「言葉で自分を説明し、プレゼンテーションする」スキル全体の不足を意味すると解釈できます。新自由主義的な競争社会において、この「言葉のハンディキャップ」は、正規雇用率、昇進、所得水準に決定的な悪影響を及ぼす可能性があります。その結果、 男性至上主義時代は筋力があり沢山労働できるものが良いとされていたため、コトバ足らずでも一定の評価がいられていた時代がありましたが、ホワイトワーカー至上主義の現代ではそれは過去のヒーローです。

3. 男性に内在する「弱虫の呪縛」と「狂気」の構造

(1) 弱虫の呪縛と競争の原理

私たちは、男女の行動や能力の違いを、教育やメディアといった後天的な環境のせいだと考えがちです。小学性になった途端に子どもたちは「あれは男っぽい」とか「あれは女みたい」といって分類を始めます。しかし小学校に上る前から男子は車や道具を好む傾向があり、女子はカラフルなものを好む傾向があります。

幼少期から芽生える男子の「負けず嫌い」や女子の「大人への憧れ」、多くは「赤ちゃんみたい(嫌い)」発言はといった意識には、環境の影響を超えた、男女の自己認識と成長の方向性の根本的な違いが潜んでいるように見えます。

男子が戦いを好むのは、戦いを好む少年漫画などの情報に増えれいない頃から、「負けず嫌い」は芽生えているように見えますし、これに対して、女子はある年齢から「赤ちゃんみたい」と幼児よりもより自立した大人であるという執着が強くなる傾向があります。この男子の「負けず嫌い」と「大人な自分」という成長を意識する発想には根本的に恣意に違いがあり、教育環境とはややや慣れたところに思考が向いているように思われます。

これらは、自己のアイデンティティを確立する上で核となる根源的な恐れの感情をはぐくんでいるように思えます。

生理学的要因としての血圧の問題

一般的に男性の方が暴力的とされています。暴力や攻撃性の背景には、生理学的要因も関与します。ただし、この論点では、雌の獲得から雄たちの争いという考えや、遺伝子的な種の保存目的とした考えまで様々あり、生理学生物学共に、研究者の立場が反映しているため、どの説が正しいうものではありません。

  • 血圧と攻撃性: 統計的に、一般に男性は女性よりも血圧が高い傾向があり、特に中年期まで顕著です。心理学では、血圧のは、攻撃性、敵意、怒りといった感情と関連があるとされています。
  • ストレスとの複合作用: 高い血圧は身体が慢性的なストレス状態にあることを示し、衝動性や攻撃性の高まりと結びつきます。したがって、男性の高い血圧という生理学的要因が、社会的な競争ストレスなど心理的要因と複合的に作用し、暴力リスクを高める一因となりえます。

(2) メディアに映る男性の原動力:

少年漫画の多くは、「友情・努力・勝利」といった形を借り「競争」を主要なテーマとしています。競争と暴力この「弱虫の呪縛」は、男性向けの商業コンテンツにも表れているように見えます。一方、成人向け漫画における表現では、暴力表現が大きな割合を占める傾向があります。一般市場では現実では問題がある、強制的で自己満足的な都合のいい不純異性交遊の物語が出回っていますが、同人コンテンツでは人知を超える残酷物語も一定数存在します。これらの事実は、男性のエネルギーの源泉が、公の場では「競争による勝利」という形で昇華され、私的な場や制御を失った感情としては「暴力」という形で発散されうることを示唆していると解釈できかもしれません。つまり、「弱虫で居たくない」という根源的な恐れが、現実の競争で敗北したとき、「弱者ゆえの狂気」として内側に溜まる傾向があるという仮説が成り立ちます。

(3) 「暴力性」という根源的な問題

この構造を経て、暴力を引き起こす加害者の多くが男性であるという統計的事実は、一部の男性が暴力行動に出るのではなく、そもそも「弱虫で居たくない」という衝動を抱える男性全員が内包している問題であること、言葉で感情を表現できないことに目を向ける必要があります。これは草食系男子は覗かれるとは限定できないのではないか、不安定な男性性や自己肯定感の低さが、ナルシズムなど不健康な自己愛、常に「弱いのではないか」という根源的な怯えと、社会からの期待に応えられない挫折感に苛まれ、それを言葉として表現できない男性にとって、この暴力性は、弱者が守る術を失ったときに内包する「狂気」だからです。この感覚こそが、男性の弱者性が表面化しにくい現代において、社会への脅威となり得る深刻な「男の問題」として議論されるべき課題であると考えられます。

(4) 性的衝動からの暴力(支配欲の代償)

多くの男性向けの成人漫画は暴力描写が過剰です。男女が未承認のまま性行為に発展し、ストーリー終盤でハッピーなら良いという楽観的な展開が多く見られます。倫理を持ち出すと、基本的に正しい男性像はお姫様を守る中世ヨーロッパの騎士道がベースになるため望ましくはないとはいえ、都合主義もハッピーエンドでなければ強姦です。実際「強姦」「奴隷」と言ったキーワード分類がされている作品も少なくありません。この極端な傾向は何処からくるか、性的衝動が暴力へと転嫁されるメカニズムは、競争社会での敗北による支配欲の代償行為として明確に解釈できます。

  • 代償行為としての支配: 社会的な競争の場で地位や自尊心を確立できなかった弱者男性は、強い劣等感とフラストレーションを抱えます。この満たされない支配欲を一時的かつ歪んだ形で回復させるため、最も直接的に権力と支配を行使できる性的な領域にそのエネルギーを持ち込むリスクが高まります。性的な暴力は、競争で失われた自己の男性性を回復しようとする、極めて危険な代償行為として機能します。
  • 衝動の転嫁: 言語的な非力さを持つ男性の場合、フラストレーションを言葉で処理できず、衝動が性的な暴力へと転嫁されやすくなります。思春期における知的障害や発達障害を持つ男性が、性の適切な処理に困難を抱え、性欲への執着が暴力行為にまで発展するという事例は、この構造の深刻な側面を象徴しています。

4. 🔑 結論:守る術のない「孤独と狂気を秘めた弱者」を包摂できるか?

「言葉のハンディキャップを持つ男性」は、経済的にも社会的にも、そして異性との関係においても、孤立を深めていく構造にある可能性が示唆されます。男性至上主義的な社会規範を解消し、ジェンダー平等を推進することは必須の課題です。しかし、この規範が徐々に解消されていく過程で、従来の「男らしさ」によって覆い隠されていた弱者男性層が浮き彫りになり、その数がむしろ増加傾向にあるという矛盾が生じています。

その根源は、男性が持つ「弱虫への根源的な恐れ」という心理的基盤であり、これが社会的な敗北と結びつくことで、解消しがたい「暴力性」を内包することに繋がります。言語能力が低く、自己を社会的にプレゼンテーションできない弱者男性は、この内包された「狂気」という名の爆弾を抱えたまま、社会の包摂から取り残されている状態にあるとも言えるでしょう。

この現実を象徴的に映し出しているのが、現在の「転生もの」と呼ばれるアニメーションジャンルです。現実社会では脚光を浴びることなく無名だった男性が、ゲームのような異世界に転生した際にチート能力を得て、圧倒的な力を持つ主人公へと変身するという物語がほとんどです。これらの作品は、これまでのヒーローものとは異なり、元の世界への未練がほとんど描かれないのが特徴であり、困窮する社会からの脱出願望が反映されています。

興味深いのは、こうした作品を消費する側もまた、転生できない圧倒的多数の無名の男性であるという点です。主人公は理想化して描かれており、異常なまでの人徳者として登場します。圧倒的な人徳を備えつつ、腕力にも恵まれ、知的でありながらハーレムを形成する傾向がある——これは完全に現実世界における欲望の反動と言えるでしょう。

(同じ構造の古典アニメに「一休さん」があります。元々都にで生まれた一休さんは仏門に下り、新たな世界で葛藤する話で、二度と会えない母への手紙がエンディングソングになっています。ちょっと前まではこのような世界観でした。)

この孤独と暴力性が結びつきうる「弱者男性」の存在は、これまでの法律や社会的な支援策では届きにくく、社会の包摂からこぼれ落ちやすいという点で、極めて深刻です。今後の社会は、「男性の成績分布の広がり」が生み出した可能性のある、特権を持たない最底辺の男性をどのように可視化し、彼らの内包しうる暴力性や狂気をいかに社会的に包摂していくかという、新たな難題に直面しています。

私たちは今、現代社会に横たわる「隠された葛藤」と、その根底にある「構造的な性差」、そして男性性の根源に潜む「弱虫への恐れ」という心理的基盤に真摯に向き合う時期に来ているのではないでしょうか。

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