未来っぽいおまじないを創る: 個人の願いをかなえるOMAから、コミュニケーションのためOMAへ

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おまじない(OMAに省略)というと、一般的に幸運を引き寄せ、不幸を祓い、願いをかなえるための民間呪術とされています。小学生の頃に友達の間で流行ったけど、嘘っぽい印象があるかもしれません。しかし、よく考えると、私たちの日常生活にはOMAに似た習慣がたくさんあります。例えば、名前や数字を覚えるときに覚えやすいフレーズに言い換えたり、タスクを紙に書いて貼り出したりすることも、広い意味でOMAと言えます。

OMAの応用

呪術由来の所作も日常に溶け込んでいます。あくびをするときに口に手を当てるのは邪気が入らない様に蓋をする、「よっこいしょ」と声をかけて腰を下ろす動作は六根清浄という修験道のお経に由来し、挨拶で頭を下げる行為なども仏閣の儀式と同じ起源です。これらもOMAに通じるものです。

中でも「咳払い」は、オーケストラ演奏の合間に何の意味があるのかわからないが、やたらに世紀払いをする。スピーチなどで、言葉に詰まる時に咳ばらいをすると、言葉がスムーズに喉から出てくるような気がしますが、これは痰が取れる爽快感を言葉のつまりと重ねているからかもしれませんが、無意識に日常的に行っているOMAとのいえないでしょうか。このように、直接的な問題解決ではないけれど、感覚と願いが織り交ざった行動をOMAとして捉えたいと筆者は考えています。

そして、OMAを広く解釈し、ときにダンスを振り付けるようにOMAを振り付け、ときに詩をつくるようにOMAを唄い、OMAは人生をより豊かにするツールとして提案できないでしょうか?

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小学生女子のOMAバイブル

小学生女子に人気のある「OMAバイブル」は、いつの時代も定番書籍です。近所の図書館貸し出し状況を見ると、いつも貸し出し中です。内容は昔と今で大きく変わることはありません。バンソウコウに好きな子のイニシャルを書いて肘などにはったり、お財布に暗号を書いた紙を入れたりと、最近は化粧で顔に記号を書いてから伸ばすというものがあり、自分が小学生のころから考えられないおませさん用のOMAも多く書かれています。これらのOMAバイブルから小学生にとっての誰もが抱く身近な願望が読み取れます。私が手に入れた本には2000個ものおまじないが掲載されており、毎日ひとつ行っても3年近くかかる量で、すぐにでも機械学習用のデータとしてAIに読み込ませたなら無限に生成できそうな分量が、すでに一冊に掲載されています。

ためしに、OMAバイブルを手本に新しいOMAを創作しようと思って、今考えられる願望を書き出して、それらに対応するOMAを創作してみました。すると、実にあっさりしたものができました。筆者が創作したのは以下です

1. お腹が空いた時に我慢する = 右中指の爪を左手でつまみ「ぽんぽこぺこり」と呪文をとなえる

2. 食べ過ぎてお腹がいっぱの時 = 両手で背中にまわして親指で背骨を押すし息をゆっくり吐く

3. 電車に乗り遅れないように = 手を合わせて両親指を眉間にあて、手のひらを開きながら「ドアよ開いたまま」と心でとなえる

どうも地味です。動きが小さく少ないです。そして一人の世界で行っている寂しさがありました。自分の予想でもっとアクティブなものを創造していました。どこに原因があるのでしょうか?

OMAとお守りの違いからみえるもの個人主義

シンプルな疑問として、お守りとOMAの違いはどこにありますが、OMAバイブルに以下のような記述があります。

お守りはそれ自体の力が幸運を呼ぶもので、おまじないは精神力が必要なもの。ぜんぜんちがうものなので、両ほう使ってだいじょうぶ。でも、おまじないをかけたお守りは、他のおまじないをしているときには使わないこと。

知ってる?うわさのおまじない2000 マーク・矢崎 治信 (監修)

また、願いをはっきりさせてから取り組むこと、OMAをするまえには部屋はかたづける、心が安定するように心がけることなどのこころえが指示されており、とてもパーソナルな個人的な世界のものです。どれも自分の部屋があって秘密に行うことが前提になったOMAが多いこと、それもあってか、心で強く唱える呪文が大変多く、声に出して唱える呪文が少なくなっているように感じます。

この現象は、自己形成と関係があると思われます。個人の願望が強くもつことで、他人と自分は異なることを強く意識するようになります。OMAバイブルが小学生女子に人気があるのにも関係があるのでしょう。自我意識の芽生えと幼少期にOMAのような「願望をかなえるための儀式」は親和性があるのだと思われます。

自我意識の形成と近代意識

この自我意識の形成と近代化は密接な関係があります。近代化は個人主義を進める運動です。個人が形成されるためには秘密が必要で、個人と秘密は表裏一体の関係にあります。そもそもプライバシーを守るという社会的風習は、実は個人を形成するためのものであり、これが近代社会の特徴だからです。

個人と社会が対立すると、社会的な文化や風俗が薄れていく傾向があります。例えば、以前はケガ人や死者が出るようなお祭りがまかり通っていましたが、近年では縮小されるのは、個人を優先する社会へと変化したためです。かつて呪術は社会形成のために不可欠でしたが、現代ではOMAのように個人の欲望をかなえ、より強い個人を形成するためのツールに変化したものに変わりました。そのため社会的風習は薄れ、筆者が幼少であれば、霊柩車を見たら親指を隠す、枕の向きを北にしない、夜に爪を切らないといった風習が多く存在しました。呪文でいえば、2人が同時に同じことを話したときの「ハッピーアイスクリーム!」や、英語圏での、くしゃみをした人への「ブレス・ユー!」という声掛けなどが一般的でしょう。このような個人主義の助長という背景が生活の中で行う呪術的ジェスチャーが薄れ、呪文を口頭で唱えることも少なくなったのではないでしょうか。

文字コミュ二ケーションと身体表現

心で強く願望を念じることが近代化と結びついていると述べましたが、その要因には文字によるコミュニケーションの急速な普及もあります。スマートフォンの普及により、メールやSNSを使った文字によるコミュニケーションが圧倒的に増えました。しかし、文字による表現は独り言のようなもので、話す相手がいなくても成立します。これは、文字がアーカイブしやすい言語として発展してきた背景があります。

一方、身体表現には表現対象が必要です。例えば、一人で声を録音しようとすると、何とも言えない話しづらさを感じるでしょう。これは、身体表現が相手との相互関係によって成り立つものだからです。「ハッピーアイスクリーム!」や「ブレス・ユー!」といった呪文は、チャットでは難しいでしょうし、文字では今ここという場をしていすることが難しく、双方向コミュニケーションを助長することができないからです。

事例

えんがっちょ

「えんがっちょ」という遊びは、汚れたものとの縁を切ることを目的とした、日本各地で古くから行われてきた伝統的な遊びです。映画『千と千尋の神隠し』にも登場します。

遊び方は、うんこをふんだ時など、汚れた子供が両手の人差し指と中指で輪を作り、「えんがっちょ!」と唱えます。すると、周りの子供が「えんが切った!」と言いながら、人差し指や手のひらでその輪を切り、輪が切れた時点で不浄か解放され、遊びは終了です。

「えんがっちょ」は、単なるお祓いとは異なり、輪を作る動作で穢れを閉じ込め、「切る」動作でその穢れを払うという、独特の意味を持っています。この遊びを通して、差別される不浄から第三者が解放することで再び集団に戻り平常を取り戻すという一連のプロセスを再現しています。身近なところでは感染症にかかっても、治れば前と同じ友達です。

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ハッピーアイスクリーム

2人以上の会話中に、同時に同じ言葉を言ってしまった時に「ハッピーアイスクリーム」という。先に言えたほうがアイスをおごってもらえるという呪文。

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>ハピーアイスクリームを知っていますか?

ハンドサインの挨拶

自分を表現するオリジナルのダンスを作ってお互いに交換する。以下の動画ではダンスの挨拶をしないと、教室には入れないというちょっとしたゲームです。挨拶としてのダンスが普段から可能なら、そのダンスに様々なその時の思いを乗せて表現でき、より活発なコミュニケーションが実現するでしょう。

福留麻里 “まとまらない身体と”

福留麻里はコンテンポラリーダンスのダンサー・振付家です。彼女の近年の作品「まとまらない身体と」シリーズは、2021年2月から日記のように日々創作した小さな振付をベースに再構築したものです。生活の中の身ぶりに近い振付には、OMA的な要素が多く含まれています。

福留麻里「まとまらない身体と」特設ページ

通信時代のOMA: 文字コミュニケーション主流の現在で、OMAの復権

今後、通信速度と情報量が飛躍的に向上すると、表現方法に大きな変化が生じるでしょう。身体表現がもっと手軽に通信でき、リアルタイムの双方向性コミュニケーションが実現すれば、表現自体も変わっていくと考えられます。たとえば、聴覚に障害がある方々にとって、従来の電話は不要なものでしたが、ビデオチャットの普及により手話での会話が可能になり、さらに、スマートフォンの普及によりビデオチャットによる片手手話が世界中で同時多発的に広まりました。このように表現自体がメディアに合わせて変化することは予想されます。

一方で、個人主義の問題ですが、それは先に述べた文字文化が個人化を加速に関わっていると述べましたが、その原因は、文字がアーカイブに優れている反面、相互関係の形成、すなわち「場」の形成が難しいことにあります。それに対して、身ぶり言語は双方向コミュニケーションであり、場を形成することができます。身体表現は人とのつながりが重視するからです。

呪術も近代化によって変化が現れました。社会形成であった呪術も変化しました。指輪や髪飾りといった呪具は個人を表現するファッションアクセサリーに変化しました。呪文は個人的欲求をかなえるお守りよやOMAに変化しました。発音による呪文や具体的なみぶりとしてのOMAの復権が考えられます。つまり、「ハッピーイアスクリーム!」や、「ブレス・ユー!」「えんがっちょ」などのコミュニケーションを重要とするOMAの復権が十分に考えられます。技術の進歩がもたらす新しいコミュニケーションの形により、私たちは再び身体表現を取り入れた豊かなやり取りを楽しめる日を期待します。

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