クレーン講習から考えさせられた日本の技術教育の遅れ

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週末3日間、小型移動式クレーンの資格取得のために講習を受けました。参加者は7人で、ほとんど若者です。居眠りをしていたひとも何人かしましたが、それにも関わらず、私以外はペーパーテストで満点を取っていました。私は先生の配慮もあって、ギリギリ合格です。

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私自身は、小学生の頃からテストが苦手で成績は最低点数を大林君といつも争っていました。原因は黙読による文章読解の問題からです。黙読ではさっぱり意味が分からないのです。特に国語は問題で、例文を読んでいる間に制限時間が終わります。塾は現学年とクラスと一つ下のクラスも受けていましたし、学校では、授業が始まる前に毎日、私一人だけがクラスの前で朗読する課題がありました。名古屋の進学校での厳しい教育が、そのトラウマとなっており、大人になっても試験の際には極度のストレスを感じてしまいます。実際、普通自動車の免許試験ではそのストレスが原因で血便が出るほどでした。今は読み上げ機能、文字入力機能、CatGPTのおかげ文章を書くことができるようになりました。本当にいい時代です。

話は戻り、実技は特に問題なく合格し、小型移動式クレーンの資格が取得できました。

普段、私は芸術関連の人々に囲まれた環境で生活していますが、ブルーカラーの労働者との関わりはいつも新鮮で、日本経済について多くの思考を促されます。

11年前、1トン以上の重物を吊り上げるための「玉掛け」資格を取得しに行った際にも、類似の体験をしました。特に低所得者層の中には、論理的な思考が全くできない人がいて、彼は教官の指摘を理解できずに同じミスを繰り返すことがありました。低所得者層にたいして差別的な意見ではありません。私が生活する環境では、要領が悪いひ人、感が鈍い人はいますがその次元を一脱してる人には出会わないのです。今回も同じタイプの人が一人いて、このような人でも最後には免許を発行するようなので、彼が配属される現場は心配しかありません。かれらは、たぶん命に係わるような現場で責任をはたす仕事は向いていません。むしろ、責任を負わされて、つらい思いをする可能性があります。そしてその人は11年前にであったその人と同じ目をしていました。技能試験という社会システムの根本的な問題は、その目的が技能者自身のためではなく、雇用者、つまり雇用主のために存在している点です。この資格試験の本質は、技能者が正確に操作できるかどうかを判断することではなく、むしろ雇用する会社が責任を回避するための手段となっています。事故が起こった際に、技能者が講習を受けていたことを証明し、危険を理解していたことを示すことで、雇用側に責任が及ばないようにするのが目的です。居眠りをしていても、判断力に問題がある人であっても資格が発行される現実が、このシステムの本質を示しています。

このような経験から、社会システムの本質的問題、一方で様々な背景を持つ人々が参加する講習で、教育や環境が個人の能力にどれほど影響を与えるかを実感しました。中でも、論理的に因果関係が考えることが苦労する人々がいることが、教育の問題なのか先天的な問題なのか、どちらにしても、現在の日本の政治が与える環境の問題が影響しており、問題は感じるものの、解決のための方法は全く思いつきません。

一方で試験の内容から、主にガソリン車とそのエンジンを中心とした油圧動力に関する内容に1日を費やしました。油圧は残ると思いますが、これからの電気の時代でありAIやモーターを使用した最新のシステムや、機械同士を連携させる統合制御システムに関する教材は見当たりませんでした。CMなどでも見かける、複数のドローンを組織的にコントロールするデモからわかるように、複数の機器同士の統合操作が現実になりつつあります。ECU(エンジン制御ユニット)に関しては少し触れられていましたが、その説明は温度センサーによる警報装置に限定されておりとても制御とは呼べない60年代の技術のままでした。
このような状況で、人材がどのように関わるかというビジョンの提示が必要ですが、残念ながら研修ではそうした管理システムについては言及されていないどころか、「電気モーターは補助動力」と一文でかたずけられていました。

今回も資格取得のための講習体験を通じて、個人の学習の苦労や教育環境の問題点から、特に、現代の技術進歩に対する教育システムの遅れ、日本の政治や教育環境が個人の能力開発に関して考えさせられました。腹の底で納得のいかない気持ちです。

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