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スティーヴ・パクストン(1939-2024)まとめ

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2024年2月21日、85歳のスティーヴ・パクストンがこの世を去りました。追悼文をFacebookに掲載しましたが、彼を知らない方も多くいることから、彼の功績をまとめることにしました。

だまってソロ作品を見よう

Wikipedia スティーヴ・パクストン

Wikipedia Steve Paxton

文献

文献”Terpsichore_in_sneakers_post_modern_dance”PDFダウンロード

“Terpsichore_in_sneakers_post_modern_dance”パクストンのページのgoogle自動翻訳

“Terpsichore_in_sneakers”にはポストモダンダンスを代表する”ジャドソン協会派”と呼ばれるニューヨークの芸術運動を詳細にまとめた文献です。”ジャドソン協会派”にはパクストン以外にもトリシャブラウン、イヴォンヌレイナー、ルシンダチャイルズ、デボラヘイなどが参加しています。それまで身体表現が、劇場や音楽といった形式にとらわれていたことから、それらから自由な表現を実験的に行ったグループで、これらの実験的な試み(テクニックにはなっていない)は80年代にフランスに輸入されることでテクニック化され、現在のコンテンポラリーダンスのような形式に変容しました。ですから、”ジャドソン協会派”の実験はコンテンポラリーダンスのルーツの一つと言っていいでしょう。

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あと、日本では福本まあや先生がパクストンの専門ですので論文を調べるのがいいでしょう。

コンタクトインプロビゼーション

コンタクト・インプロビゼーションは、1972 年以来国際的に発展してきた即興ダンスの形式です。これには、接触を中心に体重、感触、動きの認識を共有するという基本を使用し、運動によるコミュニケーションを目的としてます。スティーヴ・パクトンを中心としたダンサー達で発案しました。コンタクトインプロビゼーションはプロのダンサー達にもテクニックとして影響も与えましたが、「ジャム」と呼ばれるコミュニケーションを目的としたレクリエーションでは、初心者も参加できます。研究者のノベックはダンススポーツとよんでいます。

コンタクト・インプロヴィゼーション | 現代美術用語辞典ver.2.0

以下の動画がその歴史です。

この本は和訳があります。

コンタクトインプロビゼーションを卒業したパクストン

先にまとめられた動画でも紹介されているように、テクニック的には習熟を迎え、パクストンはより緻密な自分の身体内で出来事を観察することにフォーマスします。以下のソロ作品はバッハのゴールドベルクに即興で踊られたものですが、リズムと細部や体の部位のバラバラに操作する思考の過程がうかがえます。

Material fo Tthe Spine 背骨のためのマテリアル

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“Material fo the Spine 背骨のためのマテリアル”はベルギーの出版社から出版された同名のDVD-Romがあり、パクストンの晩年の思想をインタラクティブなデジタルメディアで学習できるDVD-Romです。私がたびたび引き合いに出す”プロジェクション”という概念の思想が求まっています。現在はフリーでブラウザーで見ることができます。

2009年の招聘は、”Material for the Spine”の出版を記念して、霧の彫刻家である中谷芙二子さんを中心に行われました。私はその招聘に直接関わったわけではありませんでしたが、何となくメンバーでした。東京でのワークショップやパフォーマンス、そしてYCAMでのインスタレーション展示とシンポジウムが開催され、さらには美術家の岡崎乾二郎さんを中心とした四谷アートステデュウムでもシンポジウムが行われました。すべての通訳はアーティストの川口隆夫さんが務めました。

2009年山口情報芸術センター[YCAM]での展示”Phantom Exhibition~背骨のためのマテリアル”

2009 Yotsuya Art Studiumでのシンポジウム

2009 spiral でのパフォーマンス

ワークショップの感想文

2009年5日に及ぶワークショップが開かれ、当時の自分が書いた感想文がセゾンの期間誌に掲載されました。以下は当時の記事です。

日本思想に精通する海外の芸術家は多く、コンタクト・インプロビゼーション(CI)の創始者であるスティーヴ・パクストンも例外ではありません。パクストンは40年前に東京で合気道を学び、今回の日本ツアーで行われたマテリアス・フォー・ザ・スパイン(MFS)にも合気道の気の概念を応用した思想がベースとなっているいます。 合気道は安政の時代の武術で、殺人の剣から活人の剣に移行し、より精神的な修行に転じた時代の武術です。驚くべきことにパクストンは合気道の思想を文献といった言葉で直接学んだことはなく、合気道の一連の訓練を現在も続け、そのような思想に至ったと述べています。

ワークショップのディスカッションの中で
「合気道の思想を文献といったものを参照しないで、相手を受け入れる事から始めるといった日本武術に精通する思想をどのように知ったのか?」
という質問に対し。
「愛は体の何処にあるのか?(Where is love in the body?)」と逆に問いただした。
その時、会場は一瞬息を飲みましたが、ディスカッションはゆっくりと続き、パクストンはマイク・タイソン(1966-)の人生をえがいた映画「Tyson」が引き合いに出されました。パウンド・フォー・パウンド最強のボクサーとして歴史に名を残すタイソンの強さの理由を、映画の中で幼児時代の他者への恐怖心として描かれており、他人を恐れる心が相手を傷つけるという問題を提示されました。

質問の答えは性格に述べられてはいないものの、合気道の一連の動きの中から意味を導き出し、コミュニケーションの本質的な問題点として提示し、現在も取り組んでいるおられる様は、私達は只圧倒されるばかりでした。

私に取って「他者を恐れる恐怖」と「愛」それとワークの鍵として繰り返し話される「プロジェクション」という言葉は、今回のパクストン日本ツアーの中で課題でありテーマとして受け止めました。ここまで課題意識を持って芸術に取り組んでいる芸術家が現在日本にはいるのでしょうか?

50-70年代のアメリカを中心とした前衛芸術運動の流れは、日本国内にも影響していたものの、その運動の後半に位置するジャドソン教会派はほとんど紹介されないまま、現在に至ってしまった歴史があります。美術館、劇場やコンサートホールを否定した前衛芸術運動はアメリカから海を渡った際、再びそれぞれの各々の様式に回収されてしまい、まるでゴミ箱の様にポストモダンダンスという名前でくくられてしまっているのが現状です。現在日本にパクストンを招聘する意義は、失われた歴史を取り戻すことで、現在の芸術を再批評することであると確信します。

2009年以降、日本では、50〜70年代の前衛芸術運動であるジャドソン教会派が徐々に紹介されてきました。また、「まるでゴミ箱のようにポストモダンダンスという名前で一括りにされてしまっている」という表現は、実際にスティーヴが述べた内容であり、ジャドソン教会派が行ってきた実験的なパフォーマンスやコンタクトインプロビゼーションが持つ社会的な側面などが、一つに求められてしまっているという当事者の感想だと思われます。

終わりに

インテビューなどはyoutubeに沢山あるので、より興味があるかたは参照ください。わずかの時間ですが彼から学べたことは人生の宝です。(以下の写真は自宅で昼寝しているところをこっそり撮影)

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見るをアップデートする :

このワークショップは、見る能力、つまり視力を拡張することを目的としています。ただし、ここで言う視力とは、一般的な視力検査で測定されるものではなく、見るという行為自体をアップデートすることです。

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多田道太郎『しぐさの日本文化』を読む

最近読んだ本、多田道太郎『しぐさの日本文化』(1972年)が非常に素晴らしかった。恥ずかしながら多田道太郎は初めて読みました。ジェスチャーに関する研究者といえば、デズモンド・モリスは定番で、日本ではコレクティブな観点から野村雅一氏がいらっしゃいます。この本では人間学として掘り下げた内容であり、モリスもリストは異なる視点で書かれていました。なにより文章が美しい。現代の研究者ではこのゆな優れた文章では書けないように思います。

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感覚のツール化つづき: 新しい身体感覚の探求

毎週行うコンテンポラリーダンスのセッションは今週は自分の晩でした。長いものでYCAMの楽屋で「ダンス部」として毎週月曜日の夜にエクササイズを始めてから20年近くたっており、山口初のコンテンポラリーダンスクラスも自分の会は最後でした。

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洋書を翻訳して読む

大脇さんは、漢字が読めなくても、黙読ができなくても、独自の方法で読書をしています。それはすべての書籍をスキャンしてOCR処理し、読み上げ機能で内容を聞くことで、運転中や移動中、就寝前などのシーンで読書をします。

さらに、外国の書籍についても、紙の書籍なら、すぐに諦めているところですが、普段のOCR処理の行程に自動翻訳を行うことで日本語で読むことが可能です。

自動翻訳技術は近年大幅に進歩していますが、やはり自然な日本語で書かれた本と比べると少し読みづらい面もあります。また、複数の自動翻訳サービスが存在し、それぞれ翻訳の精度が異なるため、最適なサービスを選ぶことが重要です。

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線形視点と非線形視点

私たちは、前回の視覚の問題についてもう少し深く掘り下げてみたいと思います。
前方の風景(aの視覚)とテーブル上の視点(bの視覚)がどのように認識されるかを考えてみましょう。

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メディアとしてのダンサー:「とつとつダンス」が切り開く未来がパフォーマンス

砂連尾理さんによるとつとつダンス2023年度活動報告展示会|”Totsu-Totsu Dance” Project Presentation in 2023を見てきました。

今回は砂連尾理、神村恵らによるワーク・イン・プログレスとしてのパフォーマンス作品を発表し。関係者やゲストを招いたトーク・セッションです。後日当時のドキュメントをオンライン配信を予定しているようです。

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クレーン講習から考えさせられた日本の技術教育の遅れ

週末3日間、小型移動式クレーンの資格取得のために講習を受けました。参加者は7人で、ほとんど若者です。居眠りをしていたひとも何人かしましたが、それにも関わらず、私以外はペーパーテストで満点を取っていました。私は先生の配慮もあって、ギリギリ合格です。

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フィリップ・オースランダー”Liveness”を(機械翻訳だけど)読む

舞踊学会で、東京都立大学の越智雄磨さんによる「複製技術とリアリティ」の中で文献フィリップ・オースランダー「Liveness」が引用されていた。この書籍は現在第3版で、COVID-19後に大がかりに改変されており、配信舞台芸術を論じる上で、必読書のようだったので、取り急ぎ購入して読んでいる。自分の読み方として、そもそも英語が読めないので、googleドキュメントの「ドキュメントの翻訳機能」とChatGPT、BARDのAI翻訳をフルに活用して読んでいます。抽出された要約をまとめました。

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地方の芸術創造:差異とフィードバックの重要性

地方で美術館や劇場では芸術の創作を行うという事はどのようなことでしょうか?

「芸術は都市からやってくる」の誤解

一般的には新しい文化は都市からやってくると考えられがちですが、これは全く間違いでしょう。都市は人口と情報が集中する故にモノがあふれ、それらの消費速度も加速しています。都市には確かに新しいモノは多いのですが、消費される事に価値を見出すポップアートやファインアートのような刺激が強調された表現が多く、芸術の真理に達していない作品が多いと思われます。地方での創作は都市とは異なる経済状況から、芸術家が一定の期間作品制作に専念でき、作品に向き合う時間が多く持てる事で、新しい表現に到達する可能性があるのではないでしょうか。

地方地域の側からすると、そのような新しい文化活動に関わる機会を通じ知性を養う活動を一つの価値として見出す必要があり、これも「新しい文化は都市からやってくるのではない」という前提の上に、創作を受け入れ、支え、見守る事自体が文化活動の一環である認識が必要です。

これらを前提に、地方の文化財団および劇場が舞台芸術の創作を考えると、いくつもの可能方法が考えられます。この論議は、地方芸術関係者で多くの方々が議論していると思いますので、ここでは芸術家は何処から来るのかという論点から考えたいと思います。

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第六感の探求:ダンサー安藤洋子が示すテレパシーの可能性

生き物にはテレパシーというものがあります。これは、ビデオやモーションキャプチャーなどの科学的な方法では計測できない、非科学的な範囲でのやり取りです。しかし、舞台で作業をしていると、ダンサー同士では、信じられないような以心伝心にも似た体験をすることがあります。それら身体表現におけるテレパシーについてまとめました。

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舞踊とダンス違い

舞踊学会で、「ダンスの定義」について議論がありました。現在、舞踊とダンスはほぼ同じ意味とされていますが、学会内で厳密な定義があるはずです。学会員に聞く前に私なりに考えてみます。

「舞踊」という言葉は、「舞」と「踊」の文字から成り立っています。「舞」は音楽と一緒に踊ることを指し、「踊」は基本的に跳躍する動きです。一方、「ダンス」の語源は古ラテン語の「deante」で、「跳ぶ」「はねる」という意味の動詞です。つまり、「踊」とほぼ同一の意味と言っていいでしょう。

「ダンス/踊り」は踊りは内発的な動機によって飛び上がる動きを指しているのに対して、「舞」外的な動機の動きを表しているといってもいいでしょう。舞踊という言葉には内発的な動きと外的な動きの両方が組み合わさっている点で不思議な言葉になっています。

また、「身体知」とざっくり行った際は、武術・武道や、スポーツも含まれてくるのですが、「武」は一歩前に進むという意味、「術」目的を果たすための方法なので道具の話ですし、武道とスポーツは「道・ルール」なので、プラットーフォーム論ということになり、「武」進み出ることなので内発的な動き、「術」や「道・ルール」というのはプラットーフォームの話なので、「舞」とは外にあるものかもしれませんが、どちらかというとすでにあるものという感じがします。舞は基本的には音楽があってそれに合わせるという意味なので、外から来るものという意味の違いがあるように思います。

舞踊学会大会参加記:三浦雅士先生の公演に見る、舞踊と形而上学

舞踊学会大会にほぼ始めて参加してきました。厳密には2ゲストスピーカーとして日帰りで参加したことがあり、その際はインフルエンザ明けで体調を崩していたため、日帰りで登壇枠だけの参加でした。それ以後は1最近は12月はいつも忙しく、参加できなかったのですが、今年は気持ちに変化があり、再度参加することにしました。

この学会は、舞踊(ダンス)の幅広いジャンルが議論される場で、盆踊りからメルロ=ポンティーまで範囲が広い議論されます。今回は、この学術体系の代表格でもある、三浦雅士先生の公演がありました。「パンデミックと舞踊の形而上学」とだいされたこの公演は突っ込みどころ満載でしたが、一貫して「これからは舞踊学の時代が来る!」という呪文のように熱く唱えており、個人的にはこのような考えの先陣がいてくれることにとても安堵感がありました。

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身体言語の新時代:インターアクトメントが切り拓くコミュニケーション革命

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インターアクトメント(”InterActment”)は、”interaction”(相互作用、交流)と”actment”(行為)の組み合わせ造語です。ダンスのように、ジャンルやメソッドに縛られない、また手話のように、言語化することに完全に依存しないその場で自然に生まれる身振りや動作を使ってコミュニケーションを促進するようなムーブメントをさします。

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毎日15分後ろ歩きトレーニングの効果

毎日のウォーキングをトレーニングに取り入れている人は多いですが、歩くことはただ前に進むためだけではありません。 習慣的な前方への動きは、前方への歩行中に通常使用されていない筋肉の弛緩につなっています。人間はすべての方向に自由があるはずです。もっと様々な方向に歩いけると日常的なパフォーマンスの良くなる以上に「前向き思考」から「自由な思考」に意識がアップデートされるかもしれません。

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声から動きへ3

前回は、野口三千三の「原初音韻論遊び」として、声帯を振動させて出す音”a, e, i, o, u”について説明し、”h”と”n”について考察し、”n”の重要性について言及しました。今回は、”a, e, i, o, u”などの一般的な発音に必要な口腔の形を考えたうえで、言葉とそのニュアンスが共通感覚(コモンセンス)として立ち上がっていくかについて考察します。

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声から動きへ2

発音が体の動きにどのように影響しているのでしょうか?野口体操のアイデアから始め、基本的な発音の”h”と”n”の発音(無音)に焦点を当て、それをする際の身体を検証します。その中で邦楽に置ける歌の発音における”n”の音に注目し、発声がパフォーマンスに影響を与えている可能性が考察されています。

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【琵琶少年】15歳の衝撃、20年の封印、そして新境地へ

15歳で薩摩琵琶を始め、高校時代は映画のようなスペクタクルな琵琶の語りに惹かれ、ノイズ音楽の大会にも出場。社会人になると演奏の機会がなくなり、20年間封印されていたが、2023年に台湾のアートプロジェクトに参加したことをきっかけに、琵琶とダンスを融合した新たなパフォーマンスに挑戦している。

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なぜダンスは音楽の下請けなのか?

このテキストでは、ダンスに先立つ伝統的な音楽の流れを探求し、その規範性に疑問を投げかけています。 それは音楽主導のダンスの課題を反映し、「恥ずかしさ」という阻害要因に触れ、言葉と動きの革新的な融合を示唆しています。 この物語は、自由な身体表現の一形態としてのダンスについて、より幅広く、より包括的な視点を提唱しています。

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骨法、象形、形似

「昔、謝赫が伝ふ、画に六法あり、
一に気韻生動と日ひ、
二に骨法用筆と日ひ、
三に応物象形と日ひ、
四に隨類賦彩と日ひ、
五に経裳位置と日ひ、
六に伝模移写と日ふ、古より画人の能くこれ兼ねるはマルなり。」
「それ物を象るには必ず形似にあり、形似にありては須く其の骨気を全うすべし。
骨気と形似とは皆立意に本づき、而して用筆に帰す。
放に画を工にする者は、多くは書を善くす。」
「歴代名画記」張彦遠一画
骨法、象形、形似とはものの骨格を見抜くことをいい
隨類賦彩とは説明を加えて具体性に近づけること。

これらをダンスに生かすべき
というのも日本の古典は抽象的な記号のく見合わせから始まり
そこから写実的表現に向かう点でダンスの成り立ちに似ている

混沌を観る

混沌はその無秩序のあまり、目の前にしても、それが実在したのかすらわからない。
なぜなら、それを理解する言葉を持っていないからだ。
しかし見逃さないように、注意深く観ているうちに、
目のやり場ができて、しだいに観るルートができてくる。
すると、ルートの端々に空間がみえてくる。
さらに観察を進めると、誰もが共通にか感じられる記号が生まれる。
言葉と言うモニュメントの登場である。
通り道でしかなかったものが構造になる。
手段自体が目的になり、存在の差の中に他者をみる。