小・中学生の間でも流行しているボイパ(ボイスパフォーマンス)ですが、以前はヒューマン・ビート・ボックスとよばれていました。インターネットで調べると、ボイスパフォーマンスはゴスペルの一部で、楽器パートを声でも表現する合唱のことで、ヒューマン・ビート・ボックスは主にソロパフォーマンスのようです。これらを日本では意味範囲が広がったのか、「ボイパ」となったようです。
先に断っておきますと、私のボイスに関する知見は、当事者としてではなく、完全に外部の視点からのものです。そのため、賛否両論があるかと思いますが、ご指摘をいただければ謙虚に受け止め、修正し、勉強させていただきたいと思いますのでよろしくお願いします。
私がボイスパフォーマンスを知った90年代は、現代音楽から派生した声によるパフォーマンスを表す言葉で、主にジョアン・ラ・バーバラやメルデス・モンクから派生したパフォーマンスでした。現代のボイパは私から見ると、ごく一部分が技術的に強化されただけにみえます。
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ヒューマン・ビート・ボックス
私の記憶では、2004年頃に「ヒューマン・ビート・ボックス」が流行し始めました。特に有名なのは、Rahzelというアーティストの「Rahzel’s Greatest Knock Outs」アルバムで、当時、多くの人がこのアルバムを聞いて真似して練習していたように思います。現在流行しているものも、基本的にはこのアルバムを超えるものではなく、技術的な発展はあるかもしれませんが、ほとんどのアイデアや発声方法はすでにこのアルバムに含まれていると感じます。
当時、日本人のDOKATAも有名で、こちらは、ディレイマシーンで声を重ねていくスタイルです。
現代音楽のボイスパフォーマンス
「ボイスパフォーマンス」という概念が明確に現れたのは、ヒューマン・ビート・ボックスやゴスペルとは異なる歴史があり、現元々は代音楽の領域です。ジョン・ケージの作曲したボイス作品は必ずジョアン・ラ・バーバラが演奏しており、ジョン・ケージの思想をボーカルで体現する役割であったのだと思います。確か自分が高校生の時ですが図書館でジョン・ケージのアルバムを一通り聴いてみたけれども、どの曲も難解で、正直、金太郎飴のように同じで長いと感じていました。しかし、バーバラのアルバムだけはエリック・サティーの曲は入っているし、ハエの音を声でだしていたりとバラエティーに富んでおり気に入りました。彼女は西洋声楽ではありえないような声の出し方を見せました。これらの発声方法は、ボイストレーニングで行うような、声帯を鍛える際に、喉の筋肉や声帯の部位をこまかく分割してトレーニングする際の発声方法を歌の材料として取り出しているところが特徴です。
つまり、ヒューマンビービートボックスやゴスペルのボイスパフォーマンスがすでにある楽器やノイズを真似するところから入っていくのに対して、ジョアン・ラ・バーバラによる現代音楽のボイスパフォーマンスは声楽を構成する発声方法を分解して取り出しているのです。
シアトリカルパフォーマンスとしてのボイスパフォーマンス
バーバラと同時だのアーティストでメルディス・モンクが有名です。バーバラが現代音楽の楽器としてのボイスの立場なのに対して、メルディスはシアトリカルパフォーマンスのディレクションを積極的に行います。私が初めて聴いた「Biography」というアルバムでは、ピアノ弾き語りでインパクトがありました。メルディスのスタイルは、グループで輪になって行い、シンプルなルールを使って即興を交えて行う形式がおおいようです。この点でもトップダウンの現代音楽とは異なります。メルディスは映像作品も多数あり、中でも「Turtle Dreams」は、ダンスと映像も織り交ぜた当時のマルチメディアパフォーマンスでした。
メルディスもバーバラと同じく現代音楽や現代美術側の出身ですが、同時代のアーティストにローリーアンダーソンがいます。詳しくは、専門の方にお譲りして、ここではボイスパフォーマンスとしてのローリーはマルチメディアを駆使している点が先駆的で、当時は音を一時的にサンプリングする機材、サンプラーは大変高額で、それらの機材を使えるのは、レコードが売れているミューシャンだけでした。ローリーはポップスターであり、これらの先端的な技術を駆使して作品を作る今でいうメディアアーティストでした。
異色の前衛デメトリオ・ストラトス
デメトリオ・ストラトスはギリシャ出身で、アメリカ時代にジョン・ケージの仕事にも参加しているボイスのアーィストです。早くに無くなるので作品は少ないのですが、どのアルバムも力強いです。
西洋音楽と民俗音楽
西洋音楽の起源、特にメロディーの起源は、聖書やコーランを読み上げる際に、語尾の音程を微妙に揺らすことに由来しています。次第にメロディーとして音楽に取り入れられ、歌へと変化していきました。また、民俗音楽研究の方でも、言葉が先か、詩が先かという議論はあるものの、言葉とメロディーの関係は共にあると考えられていました。複雑に絡み合ったポリフォニーは西洋の聖歌を起源として発展したと考えらられ、民俗音楽は西洋音楽より劣っていると考えられていたようです。
そのため、西洋では、音楽の起源が言葉にあると強く考えられており、多くの学者たちは言葉とメロディーの関係について探求してきました。しかし、世界に目を向けると、例外も存在します。言葉が起源ではない歌が存在し、それらは独自にポリフォニーを発明しているケースが多いのです。特に有名なのは、アフリカのピグミー族と台湾のブヌン族や高砂族です。
ピグミー族のボイスは有名ですのでここはスキップして、高砂族についての研究は、日本の音楽研究者の黒沢隆朝が台湾にテープレコーダーを持ち込んで収録したことが有名です。黒沢の記録では蜂の羽音の合唱があるようで言葉とは無縁の合唱曲です。どの曲かよくわからないのでブヌン族の例を掲載
外にも個人的に注目はアイヌでこちらもポリフォニー合唱がみられます。こちらは言葉とメロディーがくっついていて、ほとんどの演目はボイス(コーラス隊)とダンスが分かれていますが、歌いながら踊る演目があります。ヨーデルにしても世界のほとんどのコーラスは横並びで歌うか、円形で歌われ、ダンスといっても盆踊りのように回る程度ですが、アイヌに前後が入れ替わったり、フォーメーションが入れ替わるものが多いです。
日本の古典からのアプローチ
日本古典において、世界に誇れるミュージシャンとして挙げられるのは、薩摩琵琶鶴田流の創始者である鶴田錦史でしょう。彼女は、明治大正で発展した薩摩琵琶をさらに発展させるために、他の琵琶や音階自体も自分の演奏用に再チューニングし、新たな鶴田流を築きました。また、彼女は自身の声を理想的な状態に保つために、男性ホルモンの注射を行っていたと言われています。これは、ほとんどカストラートに匹敵する例です。
現代音楽
ロマン派のベルディーは歌手の間では歌いやすということで評判です。これは、オペラの発声方法において、ベルディーの妻が歌い手であったことも関係して、オペラ歌手が最もパフォーマンスが上がるように作曲されているからです。現代音楽はそれとは逆行してより難解な、人間の限界に挑戦するような曲が退散作られました。最も難しいのかまではよく知りませんが、超絶技巧オムニバスの楽曲郡のして有名なべリオの「Sequenza」があり、三番はボイスです。
カゲールは多くのボイスの曲があり、自分はあまりよく知らないのですが、独特です。
クラーレンツ・バロウの「Dokumissa’87」をボーカルに入れていいのか微妙ですが、これはボイスからすると音楽的に大革命です。バロウは人間の発音の聞き分け能力を使って作曲しています。話し言葉で単語の発音時の前後にくっつける「The」や「s」「de」といった音は本当にわずかにしか発音していませんが、これらを聞き取る人間の耳に注目し、これを独自の方法でメソッド化したらしいのです。しかし、あまりにも難解で聞いている方はさっぱりわからない曲になっています。
現在活躍中のボイスパフォーマンス
現在積極的に日本で活躍されているボイスを中心としたフォーマンスアーティストの紹介です。まずはこのひとありの巻上公一。それから、現在金沢を中心に世界で活躍中の足立智美です。足立は独自のデバイを使って、その場でサンプリングした音源にエフェクトや再生速度を変更することで力強いサウンドを作ります。
あと、PVの撮影を手伝った現在売れっ子の細井美裕も今後に期待です。細井はボイスの前後にマイクに音として乗ってくる吐息を嫌います。このあたり新しい身体性なのかもしれません。
細井美裕を紹介するとひいきしているみたいに見えるので、同年代のボイスのChumakinoも合わせて紹介します。細井ほど有名ではないのですが、完全に真逆のアプローチで圧倒的なパフォーマンス力です。細井はスタイルをキープするあまり、身体性を消そうとする一方、Chumakinoは裸一貫系で対照的です。
終わりに
あまりまとまっていませんが、個人的なメモだったものが、メモにしては量が多くなってしまい、読みづらいかもしれません。大掛かりなコーラスは外しています。コーラスを論じるとボイスと社会性という話が出てきます。そのような意味では民俗音楽は不要なのですが、言葉との問題に少しふれておく必要があると思いふれておきました。
ボイスを使って作品を作られる方が、歴史の全体像が分からないと聞いたので、作品創作などの参考にしてください。