現代社会における触れ合いの喪失と「押しくらまんじゅう」の新たな可能性

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毎日、ペンキを塗っているので、このような単純な作業中に耳で聞く読書が進みます。今週はたくさん読みました。人に話したい本はたくさんありましたが、簡単に話せるものを今日は紹介します。

「多田道太郎著作集4_日本人の美意識」遊びと日本人. ii文明. 小さな者の声、その中で「押しくらまんじゅう」について考察されています。

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多田道太郎著作集4 日本人の美意識

「押しくらまんじゅう」は、全国各地に似た遊びが広まっており、すこしまえまでは東では「押しくら饅頭」、西では「押しくらまんぞ」と呼ばれていいたようです。この遊びは子供たちによって、饅頭を押しつぶすとあんこが飛び出るイメージと重なり、「饅頭」という呼び方に変化していったそうで子供らしい変容が面白いです。伊勢の「押し合い神事」とよばれる神事があり、神事と子供の遊戯の関係についてたびたび本の中では触れられます。なかでもいかの部分に目が留まりました。

呪物や縁起物をうばいあい、押しあいへしあいすることのよろこびは、もはや今日の私たちの身辺から遠く、想像することもかなりむずかしいが(祭などで投げられたちまきを奪いあう群集の熱気を人は思いだすだろうか)、肌と肌とがふれあい、互いの熱と力とが相乗的に働いて集団的興奮となる―という道すじでこの祭は民衆のあいだに価値をになってきたのであろう。私たちの属する近代社会はこの道すじとは逆で、個人と個人とがふれあうと相克的に働くばあいが圧倒的に多いのである。

基本的に「押しくらまんじゅう」には明確なゴールがなく、寒い時に体をぶつけ合って温まることが目的です。肌と肌が触れ合い、互いの熱と力が相乗的に働いて集団的興奮となり、その集団から何か特別な集団の生命力のようなものが生まれます。これは現代は人と人との接触が極端に減り、ヴァーチャルなビデオゲームでは感じにくい(似た感覚は作れるが、やはり違う)、しかし「押しくらまんじゅう」は2人以上で行える画期的な生命力の交換できる遊戯なので、寒い日は握手くらいの軽い感じで積極的に「押しくらまんじゅう」をしたらいいのではないかと思う。

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