コロナパンデミック以降、すべてのイベントがオンライン化されましたが、パンデミックが収まると音楽ライブや劇場イベントはオンラインイベントを急に縮小しました。これは、配信動画サービスはあくまでもその場しのぎのもので、劇場表現は映像や音声には記録できない情報があると考えられているからです。しかし、映像の方が舞台上の俳優や役者の表情や動きを間近で観ることができる利点がありますが、劇場主義の多くはこの点にあまりふれないように思われます。シンポジウム、音楽ライブ、劇場でのダンス・演劇公演、スポーツこれらは、異なる視点、指向性があり、ジャンルごとの指向性を踏まえたうえで、同一空間を共有する意味について検討したいと思います。
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観客のダイナミクス:多数から個人へ
まず大多数から個人までの鑑賞する人数から考えてみましょう。表にすると以下のようになります。
多い | 4人程度 | 一人 |
劇場 | 家庭 | 個室・スマートフォン |
さらにこの表の同時性とその鑑賞時の人数という点で以下の表を考えてみましょう。すると以下のようになります。
同時性 | 非同時性 | |
多数 | 劇場 | 映画館 |
家族 | テレビ(近年著しく少ない) | DVD、ネットフリックスなど |
一人で鑑賞 | オンラインライブ | 動画コンテンツ |
多数で一つの空間を共有するのは劇場で、真逆にはスマートフォンやVRでの動画鑑賞が考えられます。実に、平成中盤まではテレビは家族で観るものが中心であったが、2001年以降、パソコン本体の価格低下やADSL回線の普及により、パーソナルな個人ディスプレイが一般化し、これまでの「漫画喫茶」がパソコンを大幅に導入するなどの社会現象からも見える様に、動画コンテンツ・ゲームの鑑賞のための個室が一般化したものと思われます。
レイテンシにおける現在とう知覚
厳密には同時性には幅があります。機械を使って情報伝達する以上、必ず伝達速度に遅れが生じます。情報通信における時間のズレのことをレイテンシと呼びます。ビデオゲームのようにレイテンシを極力0を目指して開発さえれた通信技術もあれば、Youtubeライブなどは1-3分ずれているもの、またスポーツではオリンピックのように地球の裏側の試合は半日ずれた時間で鑑賞するケースもあり、ジャンルによってもこのズレに対して視聴者は分別しているようです。表にすると以下になります。
レイテンシ0-0.5sec | レイテンシ1-3min | 1日以内 | 半日から三日間程度 | 3日以上後 |
ビデオゲーム/音楽のセッション | YoutubeLiveなどの配信サービス | ニュース/スポーツ | スポーツ/一部の音楽ライブ配信 | 映画など |
柔軟な身体:仮想人体の時空間変形による身体感覚の変化
人間の知覚は、ベンジャミン・リベットの「マインドタイム」でも述べられているように、現実より少し遅れています。私達が行った検証でも0.5msecまでは現在と感じるようです。ちなみに、0.5msecよりも遅れていくと、「少し重い」と感じます。これはコンピューターの速度が遅くなっている時にマウスの動きにラグがある際、身体的に重さを感じるのと同じ感覚です。話はそれますが、コンピューターで少しだけ未来を予測してつかって情報を返すと、「少し軽い」と知覚します。つまり、近くにおいては時間の流れは重さとし、もしくはパフォーマンスの良し悪しを重さとして感じているようです。
さらに、明確な調査をしたわけでは無いのですが、ダンサーが動きを明確に覚えていられるメモリーは7秒あたりにあって、7秒以内は明確にコピーできるが、7秒以上は抽象的な解釈の回路を通して思い出されるようです。これは海馬と呼ばれる一時記憶の研究の事例を参照する必要があるでしょう。
本題にもどると、ゲームにおけるレイテンシの問題は自分が生きている時間をどの様に知覚しているかと、その時間とコミュニケーションする「相手が同じ時間を生きているか」いう問題です。を表しており、電話やビデオチャットで手拍子遊びをしてみれば一目です。「トントトトンの」「トントン」と2人でやってみると現実空間のようにはピッタリ音を合わせることができません。しかし、同じ時間を生きているように感じるのは、大まかながら意識上で現在というピン止をしており、その前後の時間をなんとなく現在として判断しています。現在とう知覚はグラデーションのある霧のようなもので、中心からずれている場合その時間のズレは「軽い/重い」と感じています。つまり、「遅い/早い」と知覚された時点で、それは現在のキリの範囲の外側をいみしており、「現在ではない」と感じています。
ただしこれは対戦ゲームや音楽の演奏などの場合で、Youtubeライブなどは1-3分ずれているもののライブと感じているのは、この場合は、双方向でやり取りがあまり重要ではないため、もしくは、時間のずれ自体が確認できない場合は現在として感じています。
次に、何処までは現在として許容できるかといえば、ニュースが事例として考えられます。どこまで引き延ばしたらニュースとしての価値がなくなるかを考えると、人間の睡眠のサイクルと関係があるのでしょう。大まかに一日でしょう。
1日以上は明日として、過去としてとらえています。
その次は、「最近」「少し前」「昔」「大昔」という具合にタグ付けされますが、ここでは論じません。
整理すると、
- 「現在」とは双方向のコミュニケーション時に意識される。
- 音楽のセッションや対戦ゲームであれば時間のずれは問題になるが、ビデオチャットや電話での会話では相手との時間がさほど意識されない。
- 公演上演の場合の鑑賞者にとって、数分の間であれば「現在」として許容される。
- 1日を超えると過去と理解される。
現在の認識と受容可能な時間枠
観客とステージの関係は、表現されたものが1日以上経過すると映画やアーカイブ映像のように、いつでも見られるものとして捉えられます。一方、1日以内であれば同じ時間を共有しているという意識が生じるようです。時間の応答性がない場合は現在を明確に規定できず、応答性が担保される場合は繰り返し見たり操作したりできるかが重要になります。
超現在 | 現在 | 許容される現在 | 今日の出来事 | 過去 |
対戦ゲーム音楽セッション | 電話/ビデオチャット | 配信ライブ | ニュース | 映像コンテンツ |
現在から時間的に離れていると、舞台との相互影響はなくなります。よって「現在」という価値は下がると考えられ、現在性を時間上での距離として考えられます。
さらに、以下のような鑑賞者から舞台コンテンツを距離で表現することができるでしょう。より舞台へのかかわりが近いほど現在が重要になり、情報量が増えていきます。最前列を対話型鑑賞としているのは、次の章で擦れるからですが、支援会など積極的に舞台に関わっていただける鑑賞者という意味で最前列に配置されています。
舞台と客席のフィードバック循環
エリカ・フィッシャー=リヒテの「パフォーマンスの美学」では「オートポイエーシス的なフィードバック循環」という用語を用いて、舞台と観客との情報の循環がパフォーマンスの現実を支えているとし、ここで扱っている、同時性と非同時性を分けています。「オートポイエーシス的なフィードバック循環」という考え方では、舞台と観客との相互影響を指しています。そこで、相互影響を与えるような情報の交換がどこに現れるかを検証してみましょう。
舞台と観客の対話がある | 舞台と観客の対話がない | |
客同士の対話がある | 劇場 | – |
客同士の対話がない | 配信ライブ(チャットあり) | 配信ライブ |
そもそも大型の劇場の観客席は真っ暗で、観客同士のコミュニケーションは存在を感じる程度の関係性しかナイでしょう。それに対し対話型鑑賞のように密に客同士で話し合う所までありこれは空間の明るさとも関わっています。劇場の客席が暗くなったのは近代の発明で、民俗芸能が生活環境の中で演じられるように、客同士のコミュニケーションが失われたのは比較的最近の出来事であることは指摘する必要があります。
リヒテのいう「オートポイエーシス的なフィードバック循環」というものは、密なコミュニケーションを行おうと思うと、小規模にする必要があります。
極端な例を検証してみましょう。
一般的に舞台から表現が強く伝わり、観客からの表現は弱いと考えられています。
動画コンテンツから通常の配信ライブはコミュニケーションは一切ないので以下のように図になります。
ではすべての方向にコミュニケーションがある状態はあるのでしょうか?
大型オペラ
客席が暗く客同士のお喋りは禁止されているため、観客は舞台の演出やパフォーマンスに集中せざるを得ません。また、舞台からの客席に声がけはほぼないため、観客は作品の世界観に没頭し、その一部となるような体験をすることができます。
サッカー応援
サッカーや日本のアイドルコンサートの観客が制服を用意して応援するケースは、観客が一体感を高める効果があります。また、出演者と観客の応答性は重要ですが、観客同士のコミュニケーションは重要ではありません。観客の個々の個性は表出させることなく、応援者として決められたパフォーマンスを行うことで、一つの共同体になろうとします。鑑賞者は一体感という身体的体験が重要となります。
シンポジウム
研究発表の目的は、登壇というパフォーマンスの役割は、パフォーマンス終了後の参加者同士でのディスカッションが目的となっています。よって登壇者と鑑賞者がほぼ同じ土俵に設定されています。
対話型鑑賞
シンポジウムでのディスカッションをさらに進めて、登壇者以上に参加者を重視したワークショップのスタイルです。人数が多い場合はさまざまなグループに分けてディスカッションを行い、それらの意見をボトムアップ式に全体に共有する方法などがとられ、積極的な参加が義務化されています。
大型オペラから対話型鑑賞を直線で提示するには強引ではありますが、大型オペラでは観客は身体的に固定された状態から始まり、対話型鑑賞では観客が作品を自由に解釈する状態まで広がります。これは、観客の視点や価値観を広げる効果があり、観客のコミュニケーションは、作品の評価や解釈にも影響を与え、鑑賞体験において観客の関わり方がこれからもっと多様になると考えられます。
現在の劇場は、観客が暗闇の中で演劇を鑑賞するという、近代的な劇場様式に基づいています。この様式では、観客同士の交流や意見交換は、基本的には考慮されていません。
そのため、上の図のような観客同士の存在感の共有はどれだけ望んでいるかはあまり議論してきていません。私たちが抱いている劇場コミュニケーションモデルは近代の一部の様式に(特に日本の劇場においては)他ならないことを指摘しておきましょう。近年ラーメン屋の店内に衝立を設置したり、ネットカフェの個室の普及の明らかな事例を見ても、他人と肩を並べて座ることに抵抗感がある人達か一定数以上いると思われる現在では、検討する必要があるでしょう。
一方、シンポジウムや配信プラットフォームは、ローマ時代から続く議会形式モデルです。観客同士のコミュニケーションが可能な、よりフラットなコミュニケーションモデルと言えます。これを踏まえるとデジタル通信時代は様々なコミュケーションが可能となったことで、今後、劇場のコミュニケーションモデルは、さらに多様化していくと考えられます。
異なるパフォーマンス設定におけるコミュニケーションダイナミクス
サッカーの試合やアイドルのライブなどを観戦鑑賞する際、観客同士が直接的な日常会話をするとは限りませんが、一緒に応援歌を歌たりと身体的な体験が存在します。
私も初めて行った坂本龍一武道館コンサートでは一万人におよぶ観客もみくちゃにされながら、1時間以上かけて会場に入り、実際ステージは点のように小さい坂本龍一を見るものでしたが、そのような苦痛をも結果的には良い思い出です。このような体験は没入型のVRコンサートでも体験することもあります。
以前私が体験したVRコンサートでは、入場口から会場まで続く細長い階段があり、私がログインした時にはすでに長い列ができていて、前に進むことができませんでした。遠くで行われてるVtuberのコンサートを階段から遠目に眺めるという体験をしたことがあります(帰りはログアウトするだけなのでストレスはありません)。VRでも、汗や匂いまではありませんが、他の人との身体的な交流や進行を阻むような感覚を作り出せるので、その独特な身体的な経験が演出することは可能です。
これはVRでの身体を伴った配信ライブの体験ですが、他のプラットフォーム紹介しましょう。METライブビューイングというのをご存じでしょうか?NYメトロポリタンオペラを世界中の映画館にライブ配信して観るもので、映画館でライブ配信を観る劇場視聴形態です。ここでは、一方的な配信ではありますが、観客同志の身体感はリアルなライブと同じです。また映像なので、オペラ歌手をズームアップでまじかで見られる体験は、日本にいながら良質の体験ができ、見方によっては本物以上です。
観客のインタラクションの進化と分類
大きな劇場で前の方に座るのと、三階席に座るのとの違いのように、オンラインとオフラインの違い、また記録映像の上映方法の細分によって同じ作品でも異なる体験ができ、また情報の価値にも変化が現れます。これらの劇場表現から配信までを、現在、許容される現在、過去に位置づけられるもの、そしてオフラインとオンラインの区分けによって、次のように3つに分類できます。
1,視聴形態 2,上演形態 3,時間の自由性 4,観客と舞台の応対 5,観客同士の応対 6,補足
オフライン | オンライン |
現在 | |
劇場公演 | ライブ配信 |
1.劇場で視聴 2.役者による上演 3.早送りや一時停止はできない 4.観客の応援が舞台に影響 5.観客席の対話が可能 6.移動、時間的コストはかかる、座席位置で体験が大きく異なる | 1.パーソナルな端末での視聴 2.役者による上演 3.早送りや一時停止はできない 4.観客の応援が舞台に限定的に影響 5.観客席の対話がない 6.移動コストはからないが、時間が決められている |
許容される現在 | |
ライブビューイング劇場 | ライブビューイング配信 |
1.映画館での視聴 2.近日行われた演目の映像 3.早送りや一時停止はできない 4.観客は舞台に影響しない 5.観客席の対話が可能 6.移動、時間的コストはかかるが、大きな画面で視聴したい。 | 1.パーソナルな端末での視聴 2.近日行われた演目の映像 3.早送りや一時停止はできない(できるケースもある) 4.観客は舞台に影響しない 5.観客席の対話はない 6.移動コストかからないが、時間が決められている |
過去 | |
映画上映 | 映像コンテンツ |
1.映画館での視聴 2.過去に行われた演目の映像 3.早送りや一時停止はできない 4.観客は舞台に影響しない 5.観客席の対話が可能(行わない多数) 6.移動、時間的コストはかかるが、大きな画面で視聴したい。 | 1.パーソナルな端末での視聴 2.過去に行われた演目の映像 3.早送りや一時停止ができる 4.観客は舞台に影響しない 5.観客席の対話できない 6.好きなところで好きな時間に視聴 |
情報量の面でも、同一空間での劇場鑑賞が最も多くの情報を提供し、価格設定などもここから考慮できます。そして、今の若者たちは主にスマートフォンで情報を収集し、劇場などに出かけることに消極的です。私がストリートダンスをする若者にアンケートを取ったことがありますが、劇場でのパフォーマンスを見るのは「重いから行かない」という声が多く、暗い空間で固定された状態で表現者の個性を強制される印象が強いようです。このような若者を含めた視聴者層を考慮するなら、映像コンテンツなどで気軽に視聴できる入口と、最大限の情報を提供する劇場を両立させることが重要です。次に、このような観点から、映画鑑賞は劇場の運用コストがかかる割に、観客同士のコミュニケーションが充実しないため、利点があまり見えない傾向があります。
さらに、先述の内容に対話型鑑賞やワークショップのような要素を追加することで、以下の表における検証が可能です。
オフライン | オンライン |
対話型鑑賞・ワークショップ | ビデオチャットによる対話型鑑賞 |
1.劇場で視聴2.インストラクターと対話 3.早送りや一時停止はできない 4.観客席の積極的な対話が可能 5.- 6.移動、時間的コストはかかる、座席位置で体験が大きく異なる | 1.パーソナルな端末での視聴 2.インストラクターと対話 3.早送りや一時停止はできない 4.- 5.観客席の積極的な対話が可能移動 6.コストはかからないが、時間が決められている。運営コストがかかる |
対話型鑑賞は、観客同士のコミュニケーションを通じて、劇場の表現を超えるものです。実際、大規模なオペラでさえ、客席が暗く、観客同士のコミュニケーションが必要ない状況がありますが、良好な視聴環境でのライブビューイングと組み合わせられることが実際には多いでしょう。特に、対話型の鑑賞とライブビューイングの組み合わせは、視聴者数が無制限なため、情報の充実度が高く、同時にコスト効率も高いと言えます。
指摘しておくと、オンラインでの対話型鑑賞は、全員の合意が著しく取りづらいことから、進行が場合によっては時間がかかりいます。YesNoで決められない意見を確認するのには、現在のオンライはあまり得意ではありません。
VR体験と身体的な参加
次の作品としてメタバースや空間について触れたいと思います。メタバースの空間は、現実の場面をカメラで切り取り、ディスプレイに投影するコンサートの配信とは異なります。メタバースの公演の場合、設定された空間はゲームエンジンによる3Dの環境です。
この次元では、細かい表情や動きのニュアンスが欠けてしまいますが、パフォーマーは同じ空間を共有することなく、世界中からメタバースのステージに参加できます。VR Chatではブレイクダンスのコンテストが行われるなど、VR上でのパフォーマンスが可能です。その利点は、低コストで舞台装置を完全に無重力の状態に構築できることや、パフォーマーのサイズ感が可変になることです。巨大なパフォーマンスから小さなものまで、様々なサイズのパフォーマンスが可能であり、即興性やリアルタイム情報の活用も自在です。
別の事例を見てみましょう。Zoomを使った説明会は、新たな可能性を示唆していると言えるでしょう。多くの参加者が望まれる説明会は、イベントの性質から参加者が同じ情報を共有する必要があるため、まずレコーディングされたレクチャー動画だけを繰り返し上映することで、効率的に行うことができます。また、上映後の質疑応答は、リアルタイムで行うことで、参加者の疑問や質問に丁寧に答えることができ参加者の体験をより良いものにします。これはオンラインの際は当たり前の説明会のように思えますが、オンラインでは、レコーディングとの境目が曖昧なため、何処までがリアルタイムだったのか分からくなっています。このようなハイブリッドなパフォーマンスはハイナゲッペルスが “Eraritjaritjaka“という舞台で緻密なトリックシアターとしてすでに舞台で上演しています。VRでのパフォーマンスでは記録とリアルの境目がほとんど感じられないことから、リニアな表現(物事が順序立てられ、段階的に進行する表現)とノンリニアな表現(物事が直接的ではなく様々に入れ替わりながら進行する表現)が混在することが考えられます。オンライン上ではこれらの手法が効果的に用いられ、これからも増えるでしょう。
劇場型メタバース
METライブビューイングとメタバースライブをかけ合わせたパフォーマンスも既に存在しています。スイス・ジュネーブのジル・ジョバン(Cie Gilles Jobin)の取り組みは、メタバースにおけるコミュニケーションの新たな可能性を示唆していると言えるでしょう。
COSMOGONYでは大型ビルの壁面や大型スクリーンを活用することで、ダンサーやスタッフを招聘することなく、遠隔地からでもパフォーマンスを配信することができます。これにより、劇場が持っている地元とのノウハウを生かしながら、遠方のコンテンツを届けることが可能になります。
また、慶応大学のカイ・クンツェの研究で観客の心拍を心拍センサーをつかって舞台演出にフィードバックする研究がなされていることから、これらの装置を活用することで、観客の躍動感を出演者側にフィードバックすることも可能になると考えられます。
ハイブリッド劇場の多様な体験
このハイブリッドなコミュニケーションは、今後のメタバースにおいても、広く活用されていくと考えられます。しかしながら、まだまだ課題は沢山あり、メタバースに参加するまでのコントローラーの問題は、現実世界との接続性を高めるためには、解決しなければならない課題と言えるでしょう。現在は、全身の動きをメタバースないでやり取りするには、スーツやセンサーなどの専用機器を必要としているため、ハードルが高いと言えます。今後は、VRゴーグルやコントローラーの技術が進歩し、より手軽に利用できるようになることが期待されます。
一方で、XRのような現実空間に仮想空間が侵入してくる技術も今後に期待されています。NTT研究所と私も参加する触覚転送の研究会では、触覚センサとデバイスを使うことで、双方向に触覚情報のやりとりができます。触覚情報は、具体的なコミュニケーションというよりも、存在感だけを相手に送ることができるので、異なる生活空間同志をつなぐことができます。
まとめ
観客と舞台の関係は、時間的な近接度によって変化します。また、鑑賞者が体感している一体感や臨場感は、舞台と客席との一体感なのか、観客同士の一体感なのかはこれまで厳密に検証してきませんでした。これに加えてインタラクティブな視聴とは、観客がイベントに積極的に参加できる視聴形態のことです。インタラクティブな視聴は、観客の解釈を増幅させ、参加や評価を多様化させます。同じ演目でも上演形態を変えることで体験自体が変化するため、表現者と視聴者の指向性に合わせて変化させる必要がこれからはあるようです。