昨今、AIが私たちの暮らしの中に当たり前のように入ってきています。AIとは何か、知能とは何かについてはすでに多く語られてきましたが、ここでもう一度その論点を復習し、私たち自身が「知性」を感じる「他者」の問題にまでさかのぼって考えてみたいと思います。そのための興味深い実践として、今回は「パフォーマンスのためのチューリングテスト」をご紹介します。
このテストは、6月10日の15時より「スタジオイマイチ」にて開催されたワークショップ「10年後のAIは? 〜AIと結婚できる?!〜」の中で行われました。ゲストには、ゲームAI開発者であり、国際ゲーム開発者協会日本ゲームAI専門部会チェアや人工知能学会編集委員などを務める人工知能研究の第一人者、三宅陽一郎氏を迎えました。三宅氏は『人工知能のための哲学塾』や『なぜ人工知能は人と会話ができるのか』など多数の著書でも知られており、この日は彼と共にAIと人間の境界線を探る実験的なプログラムが展開されました。
Contents
2. チューリングテストとは?(前提としての一般論)
ワークショップの内容に入る前に、AIの知能を測る有名な基準である「チューリングテスト」について紹介します。これは、数学者アラン・チューリングが「機械は考えることができるか」という問題を判定するために提唱した思考実験です。
元々このテストは、チューリングによって「イミテーション・ゲーム」として提案されました。質問者が外部から見えない2つの部屋とテキストで通信し、一方にいる「男性」、もう一方にいる「女性」のうち、どちらが女性かを当てるというゲームです。このとき、男性は嘘をついて質問者を混乱させようとします。チューリングは、この男性の役割を機械(コンピューター)に置き換え、機械が人間を最後まで欺いて「自分を人間だと思わせる」ことができれば、その機械は「考えている」と言ってよいのではないかと主張しました。

3. 身体的チューリングテスト:他者を内在化するためのワークショップ
今回のイベントは、頭(言葉)による判定ではなく、「身体」を通じてAIと人間の境界線を観測するワークショップです。まずは、特別な機材がなくても、あなたが今いる場所で体験できるシンプルなステップから始めてみましょう。
当時は中上淳二君がMax/MSPを使って、カメラで人の振る舞いを検知し、舞台照明を自動的にコントロールするアプリケーションを作成してもらいましたが、今回はブログのためにエージェントAIを使って簡易的なものを用意しました。以下のURLから飛んでもらうと、実際に当時のワークショップを体験することができます。簡易的に作られているため、すべての環境での動作を保証はできませんが、試してみてください。
準備するもの:
- ノートパソコン
- スマートフォン
- インターネット接続(2つの端末が通信を行うので、同じネットワークに接続する必要があります)
- 作業テーブル(高さの指定はありませんが、オペレーションに必要なものです)
参加人数: 2人以上
ワークショップに必要な広さ: 3m×3m以上、自由に歩き回れる広さ。暗くできる部屋(薄暗くなれば良い)。
アプリケーションの動作説明
以下のURLをスマートフォンとノートパソコンで開いてください。
https://richiowaki3.github.io/sync-app

同じネットワークに接続していれば、親機と子機の選択ボタンが現れます。
ノートパソコンで「照明」を、スマートフォンで「呼吸」を選択し、画面に表示された数字を入力して通信の許可を行ってください。スマートフォンではカメラの使用許可を求められますので、必ず背面カメラを選択してください。
スマートフォンの画面中央にはスライダーとボタンがあります。スライダーを左右に動かすと、ノートパソコンの画面が明るくなったり暗くなったりします。オートボタンを押すと人工知能が動作し、カメラの認証を求められますので、背面カメラを選択してください。カメラで人の動きを検知してノートパソコンの画面の明るさを自動で調節するようになります。この際、カメラに人が映っていないとスライダーが動きませんので、必ずカメラで人をさつえいしてください。セットアップはこれで完了です。
【ワークショップ】2人からでできるセルフ・ワークショップ
このワークショップは、相手を「人間」として、あるいは「システム」としてどう受け取っているかを探る実験です。
パフォーマンスのベースにしている「立つ-座る-寝る」はシモーヌフォルティのワークだったように記憶しています。もし違がっていたら教えてください
- プログラム1(1人で行う): プレイヤーは「立つ」「座る」「寝る」の3つから1つを選び、1分間(または3分間)その状態を維持、または切り替えます。
体験後のディスカッション:
あなたの体にはどのような変化おもに違和感が起きましたか?
- プログラム2(2人以上で行う): プレイヤーは同じ空間で、プログラム1と同様に3つの動作を自由に行います。「相手を無視してもよいし、影響を受けてもよい」という条件で3分間行います。
体験後のディスカッション:
あなたの体にはどのような変化おもに違和感が起きましたか?
プログラム3(1人で行う): 今度は部屋を暗くし、ノートパソコンをアクティングエリアに置きます。プレイヤーではない人がオペレータとなってスマートフォンを操作します。この回では人がスライダーを手動で動かして、ノートパソコンの明るさを調節します。その際に、スライダーの動きは動かしだしたらはじまで行ききるように動かしてください。(途中で止めたり、細かく振動させたりしない)プレイヤーはプログラム1と同じ動きを3分間行います。
体験後のディスカッション:
あなたの体にはどのような変化おもに違和感が起きましたか?
プログラム4(1人で行う): 部屋を暗くしノートパソコンをアクティングエリアに置き、プレイヤーではない人がオペレータとなってスマートフォンを操作します。この回では手動スライダーと人工知能スライダーのいずれかをオペレータが、プレイヤーに知られないように決めてノートパソコンの明るさを調節します。プレイヤーはプログラム1と同じ動きを3分間行います。
体験後のディスカッション:
ノートパソコンのコントトールは人か人工知能かどちらだったでしょうか?その理由は?あなたの体にはどのような変化おもに違和感が起きましたか?

観測された「感覚のズレ」
このセルフ・ワークショップのベースとなっているのは、山口市のオルタナティブ・スペース「スタジオイマイチ」での実践で、体験者からは、照明操作を人間とコンピューターを比較した際、興味深いフィードバックが得られました。コンピューター相手の場合、パフォーマーはそこに「機械的な意図」を推測しようとしますが、人間を相手にしている時のような「重たい他者の存在」を感じることはありません。特に、相手が機械だと分かった途端に「申し訳なさ」という感情が希薄になる点は、この実験の核心に触れる発見でした。
- プログラム3(対・人間操作): 1人のパフォーマーが動く中、もう1人が調光卓のスライダーを操作し、舞台照明を変化させます。ここでは「誰かが自分を見ている」という相互作用が明確に存在します。
- プログラム4(対・コンピューター): 操作者をコンピューターに置き換えます。MAX/MSPを使用し、Webカメラで捉えたパフォーマーの動きをトリガーにして、照明を自動的にオン/オフさせます。
4. 考察:なぜ「申し訳なさ」が消えるのか ~「中国語の部屋」と「たまねぎの皮」~
ここで、知能と心の本質に迫るための2つの重要な議論を交えて考察してみましょう。

1つ目は、言語による「チューリングテスト」に対する有名な批判的思考実験である**「中国語の部屋」**(哲学者ジョン・サール提唱)です。全く中国語を知らない人が部屋に閉じこもり、マニュアルに従って記号を操作し、外の中国人に対して完璧な中国語の返答を作成できたとします。外からは中国語を完全に理解しているように見えますが、中の人は意味を全く理解していません。サールはこれをもって、言語によるテストに合格する機械であっても、本当に意味を理解し「考えている」(心や志向性を持っている)わけではないと主張しました。
2つ目は、チューリング自身が心や脳の働きについて残した**「たまねぎの皮」**の比喩です。心の本質を探る際、純粋に機械的な言葉で説明できる仕組みを「皮」に見立て、それを次々と引き剥がしていった先に「真の心」にたどり着くのか、それとも最後には何も残らない空っぽの皮に行き着くのか、と彼は問いかけました。コンピューター時代の心や私という存在を論じた古典的名著『マインズ・アイ』などでも、こうした自己やパラドックスの問題は深く掘り下げられています。
「中国語の部屋」が機械の内部における意味の理解を問うたのに対し、今回のワークショップの意義は、言葉ではなく「身体」による他者の内在化の体験こそが、人間がAIを定義している本質だと明らかにした点にあります。私たちが人間の他者に対して感じる「申し訳なさ」は、無意識に相手への「共感のミラーリング」を行い、相手を不快にさせないための対人コストを支払い、相手の身体的な苦痛や反応を自分のこととしてシミュレーションしてしまう「内在化」の副産物です。そして、この「申し訳なさ」という身体感覚こそが、私たちの中に他者が立ち上がる「他者感」の本質に他ならないのです。
しかし、相手が「機械(アルゴリズム)」だと認識した途端、人間側はその共感回路をオフにし、対象を単なる「道具」や「現象」として処理し始めます。チューリングの「たまねぎの皮」の比喩に重ねるならば、人間は相手の振る舞いという「皮」の奥に「真の心(重たい他者)」を想定した時のみ、申し訳なさという感情を立ち上げているのです。
機械が内部で本当に意味を理解しているかに関わらず生じる、この「身体を通じた相互作用」の感覚のズレは、私たちが将来AIとどのように関わり、共に生きていくのか(あるいは結婚するのか)を考える上で、極めて重要な示唆を与えてくれます。