前回は表現者の動きの圧縮にフォーマスして考察しました。その圧縮は多様なレベルで行われており、所作がパズルのようにつながって一つの運動を作り出しているもの。無意識に体の反応が所作に表れているもの。感情などの質が所作に折りたたまれているもの。といった内容でした。今回は、この圧縮された動きを見た人がその内容をどのように読み取るか、つまり、動きの解凍についての考察です。
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圧縮された動きの解凍についての考察
動きの圧縮の理解が一体いつ行われるのかについては、また、いつそれらのボディーランゲージを学んだのかについては、現時点では明確な答えはありませんが、少なくともジェスチャーといった文化的な所作や表現された環境などが関わっていることは確かです。これらの研究があまり一般的では無いのは、身振りが形式化されていないことと、動きの解凍方法に一定の方法論が無いからだと思われます。そもそもこ組み合わさった所作を「動きの圧縮」と考えている研究者が少数であることが一つのよういいんです。こうした理解をいかに獲得し、組み込んでいるのかについては、まだ多くの研究が必要です。
話し言葉とボディーランゲージのコミュニケーションの比較
ボディーランゲージが話し言葉と比べて、これらの身振りや所作が回答を求めているかどうか、つまり、それらをコミュニケーションの一環として考える場合、相手がそれにたいして正確な応答が存在するのか点が興味深いです。しかしながら、身振りが使用されるのは、形状や質感を伝えるためだけではなく、むしろ共有のために行われることが一般的です。
話し言葉とボディーランゲージには考慮すべき点があります。話し言葉は、単語の配置や前後関係によって意味を構築します。一方で、ボディーランゲージ・ジェスチャーなどの身振りの多くは、単体での意味はあるものの、質感や感情の共有するためのコミュニケーションに使われます。これは個人の主観的な態度を表し、関係性を説明するものではないことが一般的です。つまり、話し言葉は客観的な態度で出来事の関係性を説明しようとするのに対して、ボディーランゲージは自分が体験したものを相手にも追体験してもらう当事者の主観共有を目的としている点が異なります。
また、話し言葉には文法が求められます。前後関係を変えると意味が失われることがあります。コミュニケーションにおいて、話し手と聞き手が交代する場合、聞き手は話し手の発言中に沈黙を守らなければならず、そうしないと文法が崩れて意味が通じなくなります。
しかし、ボディーランゲージによるコミュニケーションでは動きのパーツに前後関係は現状では、あまり重要ではありません。むしろ、どんな力が加わったのか?どんな気持ちか?といったニュアンスが重要です、つまり、やはり交換されているのは質感なのです。また相手が発言の途中でも同時に反応しても問題はないのも特徴です。
客観的解釈と主観的解釈
例を上げて考えてみましょう。(図1)赤ん坊が床にうつぶせに倒れて泣いている写真を見た場合、言語的な理解では「転んだから泣いているのだろう」と状況を因果関係も含めて理解しようとします。質的な理解では「赤ちゃんが泣いていいる。どこかをぶつけてとても痛いに違いない」という具合に赤ん坊の情動を重視します。(図2)これらの理解は通常同時に行われます。自閉症傾向のある人などはこれらが分離していることもありますが、普段から人によって質的な方を重視する人もいれば、文法的な感覚を重視する人もいて、二つの解釈はなだらかに繋がっているものです。人によって解釈が異なる点は、これらの情報を受け取る際に主体的か客観的かの緩やかなグラデーションのどこに重きを置くかに起因するものです。
動きの圧縮と映像メディア
近年、動きの圧縮に焦点を当てた映像が増えています。特に商業的映像メディアでは、短時間で感情を呼び起こす手法として、動きの圧縮が積極的に利用されています。これらは研究から導き出された手法で行われているのではなく、無意識に発展した技法です。事例としては、一日の終わりに放送されるスポーツ番組のハイライトプレイバック映像です(図4)。試合の細かな情報を伝える前に、一日の劇的なシーンだけを2~3秒づつ切り出したコラージュ映像です。この映像からは詳細は分からないものの、どんな劇的な瞬間があったか?誰が活躍したのか?という盛り上がり一目でわかります。この手法では、高揚感を伝えることにフォーカスしており、一日の試合が印象的な体験として体感できます。
同様の手法は、日本のテレビアニメの主題歌の映像でも見られます。元々はオペラの幕前に演奏される序曲に由来しています。ハイライト部分だけを総集した楽曲を演奏してから華々しく幕が上がるのです。日本のテレビアニメは1シーズン12話程度で、その話数のなかに新たに登場する人物や劇的なシーンが1秒程度のフラッシュバックとして挿入されます。これらのオープニングを見るだけでそのシーズン全体の盛り上がりを把握できるように編集されています。
このような手法は、視聴者によって高いエンゲージメントを生み出す一方で、先に論じた質を伝える手法であり、動きの圧縮の手法と言えるでしょう。
動きの圧縮のレベルや速度は、年々上昇しているように感じられます。フレームレートと呼ばれる映像技術における1秒間に連続する絵の枚数の呼び方ですが、映画は24フレーム(コマ)、デジタル映像は30フレームから近年60フレームに変更され、ビデオゲームは120フレームから240フレームのものまで登場しています。ハリウッド映画を50年前20年前現在と比較すると、編集の速さが早くなっており、24フレーム(コマ)ではすでに限界が来ています。蓄音機時代の録音がゆっくりしゃべっているように感じられるのは、再生速度の問題以上に、世界中の人がもっとゆっくし話していたようです。
動きの圧縮の変遷とその意味
スポーツにおいても(私自身はあまり見ないのです)、サッカーをプレイする人から聞くと、数十年前の有名なマラドーナ選手の黄金期の映像を見ると、今よりも信じられないくらい遅く見えるそうです。オリンピックの陸上競技がさほど更新されないのですから、走るスピード自体は変わっていないはずですが、現代のスポーツでは選手たちの何がペースアップしているのでしょうか?早くなりうるのは、プレーイ中の様々な局面での判断する時間が早くなった以外に考えられません。ここから理解できるのは、動きの圧縮という概念は、時代とともに圧縮量も解凍量も変わっており、現代においてその量と速度は明確である。
まとめ
動きの解凍は、ボディーランゲージを通じて情報を受け取り、解釈する能力を指します。この能力は、映像やスポーツなどの領域での変化を通じても明らかです。映像メディアのフレームレートの高速化と編集速度が向上することで、短い時間で多くの情報を伝える技術とそれを解釈する能力は一体になっています。また、スポーツにおける判断力の向上は、瞬時に情報を処理し、適切な反応をする能力の高速化も、動きの解凍能力と対になっていると考えらます。
このような現象から、動きの圧縮と解凍の能力がますます重要になっていることが理解されます。これは、情報が急速に伝わり、短時間で意思決定が求められる現代社会において、重要なスキルであると言え、動きの圧縮と解凍の能力が理解されることで、コミュニケーションや情報処理、さらには教育や訓練の方法においても新たな展開が期待されます。この能力を理解し、向上させることで、より効果的なコミュニケーションや学習が可能になるかもしれません。そのため、人間の能力の研究において、動きの圧縮と解凍の能力に焦点を当てることは、今後ますます重要になってくるでしょう。
感覚の速度が上がっていくということは、ボディーランゲージの創作メソッドの向上が望まれるでしょう。しかし、ボディーランゲージの創作メソッドは一部のダンスにしか存在せず、そのダンスの手法も現在は細かくジャンル分けされているため、それぞれの手法が十分に検証されていません。そもそもダンスがコミュニケーションのツールであるとは一般的に考えられていないのです。さらに、身ぶりの記録や解析に必要な道具は、話し言葉と比べて最近開発されたばかりです。ボディーランゲージに隠されたテクニックをもっと研究する必要があります。そのためには『動きの圧縮と解凍』を深く探求することが必要です。この研究が成功すれば、ジェスチャーやダンスの新しい発展につながり、新しいコミュニケーション方法が生まれると確信しています。その新しいコミュニケーションの手法を私はインターアクトメントと呼びたいと思います。